マタイ17:24~27
【神殿税について】
今回はどうしても「神殿税」の説明が必要やと思うので、少しこれについて書きますね。
神殿税には二つの意味があります。
一つは、イエスの時代のエルサレム神殿に納める税金です。成人男子が所得に関係なく一律に納めなくてはならなかったもの。毎年過ぎ越しの祭りの前に徴税人が家を訪ねてきて今の2万円くらいを取り立てていくのでした。
もう一つは、マタイが福音書を編纂した頃の神殿税。
エルサレム神殿がローマ帝国によって破壊されたためにユダヤ教徒として納める神殿税はなくなったのですが、その代わりにローマ帝国の異教の神々のために建てられた神殿に、新たな神殿税を納めなければならなくなったのです。
【マタイのグループの苦悩】
マタイが属するグループは、この神殿税を納めるか納めないかで苦悩していました。
彼らは、イエスの頃と違ってユダヤ教の一派とは看做されず、ユダヤ教から派生した新興宗教・カルト教団と思われており、ローマ帝国の取り締まりの対象とされていたからです。
そのためにローマ帝国への従順を表す神殿税を納めておかないと、帝国から虐待される恐れがあったのです。
しかし、だからといってイエスをキリスト(救い主)と信じる彼らは偶像崇拝をする訳にはいかなかった。
この苦境を打破するために考え出されたのが27節に出てくる「釣った魚の中から出てきた銀貨」の話です。
■神殿税は納めます
(=ローマ帝国に従順に振る舞います)
■でも、納めたお金は湖から拾ったお金です
(=でも、私のお金ではないから私はイエス・キリストにのみ従順なのです)
という、何とも小狡い詭弁を弄して、マタイは自分たちの教団の正当性を守ろうとした訳です。
最初はカルトだと思われてた小さな小さな集まりが、数百年後にはローマ帝国の国教となり、さらに千年後には世界的な宗教となったのですが、そこに至るまでのキリスト教の歴史には、このような文字通り命懸けの苦闘があったのです。
【私たちに託された銀貨】
一方で、「生き延びるための知恵は、釣った魚の中に備えられている」という物語は、
何と長閑な空気を漂わせているのでしょうか。
明日殺されるかもしれないという状況でも、神さまは私たちに「湖に行って釣り糸を垂れよ」と命じられるのです。
私たちはその言葉に従って、釣り糸を垂れて、魚がかかるを待つのです。
そうすると魚が獲れるのです。
そしてその魚を捌くと、お腹の中から必ず銀貨が1枚出てくるのです。
その銀貨は私たちを生かすための銀貨です。
神さまが用意してくださった銀貨
神さまから託された銀貨
その銀貨をどう使って生き延びるかは私たち一人一人に委ねられています。
あなたなら、どう使いますか?