イースター礼拝

マタイ17:22~23

 

鋸(のこぎり)、鉈(なた)、鎌(かま)、鍬(くわ)、鋤(すき)…、

山仕事や百姓仕事の道具は「金偏」つまり鉄のものが多いです。

 

鉄の道具は使っていると磨り減ります。

鋭利だった刃先が丸くなり、研ぎ直さなければ道具として役に立たなくなります。

 

そして

使う➡刃先が丸くなる➡研ぐ➡使う➡また丸くなる➡研ぐ

この繰り返しの中で、道具は小さく、短くなっていきます。

また刃が大きく欠けたり、本体が折れることもあり、その時は1,000℃を超える火に入れられ溶かされ、違う形の刃物として再生します。

いずれにしても、鉄の道具たちは「刃物として一度死ぬことで新たな道具として甦る」ということを繰り返しながら生きている訳です。

 

昨日山で鉈を使って杭を作っていたのですが、

切れ味が落ちた刃を研ぎながらふと、

イエスの死と復活に与るとは、「死んで、甦る」とは、このことなのだと思いました。

 

私たちは主の御用のために粉骨砕身、奮闘しながら、主から備えられた刃をすり減らしながら、時には刃を欠いたり、ひどいときには大きく破損して生きています。

切れ味を取り戻すためには丸くなった部分を削り落とし、研磨しなければなりません。欠損がひどければもう一度火に入れられ溶かされ、違う形の刃物に作り変えられます。

しかし、刃が鈍くなった、欠けたりへし折れた、古い自分に拘っている限り、私たちは刃物として甦ることができないのです。

 

言い方を変えれば、

今までのやり方、

今までの癖、

これでいいと思ってやってきたこと、

仕方なく目を瞑っていたこと、

これらから抜け出す勇気を持ちさえすれば、

私たちは切れ味を取り戻すことができる。

あるいは新しい刃物として生まれ変わることが出来るのです。

 

とは言え、私たちは弱い。
旧来の自分にしがみつき、前に進めない。

鈍いままでいい!と研ぎ出されることを拒み、

作り替えられることに躊躇する。

だって、いくら新しく生まれ変われると分かっていても

一度死ぬのは怖いから。

 

その時、前から招き、背中を押し、横に寄り添い腕を取ってくださる方がいる。
それが一度は十字架で死に、そして甦られたイエスです。

イエスが一緒なら、一度死んで甦ることは怖くない。

 

そう思えるようになりたいですね!