マタイ13:53~58

 

【友人の「へーっ!まさか?!」】

 

親しい友人のお通夜の際に、親族の方々と思い出話に花が咲いた。

 

15年来その友人が仲間と共に現場で汗を流し、そこに集う人たち子どもたちのお世話にどれほど腐心していたか、また苦しい闘病中も笑顔と気配りを絶やさなかったことをお話しし、

友人がお葬式で使うことを望んだスライドショーの画像を見て頂いた。

皆、友人の社会的な働きと生き様に感動された。

が、その一方でとても驚かれていた。

何故かというと、親族の方々が知っておられる友人のかつてのイメージとは随分違っていたからだった。

 

誰でも経験があると思う。

たまに故郷に帰って、身内や近所の人、同窓生などに会うと、「今何をしているのか」と訊かれる。

こちらの答えと「かつてのイメージ」が違うと、「へーっ!まさか?!そんなことしてるなんて思いもよらんかったー!」と驚かれるという経験。

 

 

【イエスの「へーっ!まさか?!」】

 

今日の箇所に書かれているイエスも、故郷に帰って「へーっ!まさか?!」と驚かれた一人だった。

大工ヨセフの長男でありながら、家業も継がずブラブラと放浪し、貧しい人や病人、差別されている人とばかり付き合い、病人を治しただの死人を甦らせただのといかがわしい噂が絶えない。

しかし実際に帰郷したイエスは、生まれる前から自分を知る人たちの前で堂々と聖書を解き明かし、病人を治し死人を甦らせた。

それでも「故郷では受け入れられなかった」のは、かつてのイメージと違い過ぎたからだったのではないかと思う。

 

 

【昨日とは違う自分になれる】

 

友人のお通夜の後、

親族の方々の「へーっ!まさか?!」を思い出しながら今日の箇所を読んでいて、私は無性に嬉しくなった。

「人は、昨日とは違う自分になれる」というメッセージを受け取ったからだ。

 

15年間で友人は随分変わったと、15年間親しくしていた私ですら思う。

ここ数年の友人しか知らない仲間はきっと、昔から明るく頼もしい人だったに違いないと思っているだろうけれど、15年前の友人の第一印象は引っ込み思案で人と交わらずどちらかというと暗いイメージだった。

森の再生のために、森と街を結ぶために、障がいの有無程度を問わず特に子どもたちに森で命と出会ってもらうために、この15年間で友人の考え方・態度・言葉は研ぎ澄まされていったのだ。

 

2000年前のユダヤで、進駐していたローマ兵に暴行されユダヤの少女から生まれたイエスは、血のつながっていない父ヨセフや弟妹たちと疎遠だっただろう。

親族や近所の人たちからも白い目でみられ、「神の子」という蔑称で揶揄されて育ったのだろう。ハリネズミのように自分の殻に閉じこもり人を寄せ付けずに生きてきたのだろう。

そのイエスが突然だったのか徐々にだったのかは分からないのだが、ある日故郷の人がびっくりするような働きをする人になっていたのだ。

 

そう、「人は、昨日とは違う自分になれる」のだ。

特にイエスの生涯を見る時、そこに

「人は、どんな過去を背負っていても、昨日とは違う自分になれる」というメッセージが込められていることがわかる。

 

私自身数多くの恥ずかしい過去がある。

もし閻魔大王の前に引き出されることがあるなら、「浄玻璃の鏡」に映し出される生前の私の姿は餓鬼外道そのものだと思う。

 

けれどもそんな私でも、「昨日とは違う自分になれる」のだ。

 

もうダメだ。ではない、きっと新しい自分になれる。

 

友人が最後に気付かせてくれたメッセージを胸に、顔を上げて前に進みたい。