マタイ7:15~20



■現代日本の偽預言者たち


汚染水は完全にブロックされている…原発事故はコントロールされている…

という嘘をついて、東京オリンピックを誘致した安倍首相を筆頭に、

今の日本には偽預言者がそこかしこにいる。

預言者と予言者は違う、未来のことを言い当てるのが予言者だが、

預言者は神から言葉(真理)を預かり、その言葉を人々に告げ知らせ回心(心を向ける方向を変えること)を促す。

現代日本の偽預言者たちは、貧富の差を拡大し、差別を助長し、近隣国を憎悪させ、この国を戦争へと導こうとしている。



■偽預言者の見分け方


イエスはいう。

良い木は良い実をつける。

悪い木は悪い実しかつけない。

実を見れば、その木が良い木か悪い木かがわかる、と。

何より、「茨から葡萄は採れないし、アザミからイチジクは採れない」

葡萄を期待して待っていても、茨(偽預言者)には葡萄は付かないし、

イチジクを期待して待っていても、アザミ(偽預言者)にはイチジクは付かない。

彼らがもたらす実を見てみろ、そうすれば、そいつが本当の預言者か偽預言者かが分かるのだ。



■偽預言者の末路


国民に知られてはいけない何かを隠すため、事件をでっち上げ、マスコミと結託して情報を操作する。

嘘でも大きな声で言い続けていると国民はそれを信じるようになる、といったのはヒトラーだったかゲッペルスだったか…

ナチスだけでなく、今の日本も真実を隠し、政府・財界に都合のいい嘘だけが流布される国に成り下がっている。

このような空気は気持ちを暗くさせるが、一縷の望みはイエスの言葉だろう。

19節「良い実を結ばない木はみな、(神の手によって)切り倒されて火に投げ込まれる」。

過去の独裁者たちがみな滅んだように、現代の偽預言者たちもまた、いつか必ず切り倒されて火に投げ込まれるに違いない。



■それでもイエスは傍にいてくれる


とはいえ、偽預言者たちと私たち一般庶民を神の目から見れば、そのどうしようもなさ

ロクデナシ加減に大差はないのではないか。

私たちは神から葡萄を期待されているのに茨であり続けていないだろうか。

イチジクを期待されているのにアザミであり続けていないだろうか。

神の求めに応じた木になろうとしなければ、

私たちの末路も独裁者たち、偽預言者たちと同じなのだ。


だからといって、茨に生まれてきたような私たちが葡萄の木になれるのか?

アザミとして生きてきた者がイチジクの木になることができるのか?


私たちは葡萄やイチジクでありたいと希求しながら

そこからあまりにも遠いところでもがき続けている。


そのような私たちを、イエスは見捨てない。

イエス自身も茨やアザミとして生まれ、そのように生きていたからだ。


良い実を結ぶまでの道のりは遠いけれど、それでもイエスは私たちのすぐ傍に寄り添っていてくれる。


イエスが一緒にいてくれるのなら、
たとえ茨に生まれ、アザミとして生きていても、もしかしたら葡萄やイチジクを実らせることが出来るのではないか、と思えるのだ。