マタイ6:24
【友人たち】
友人Aの場合。
専業で無農薬・有機栽培の農家。50歳。年収は400万円に届かない。
妻と息子3人も彼の仕事を手伝っているが、息子たちは大学には上がれなかった。
家族全員年中無休。一日の労働時間は10時間くらい。
気象状況によっては徹夜が続くこともあり。
友人Bの場合。
公立中学校の先生。30代。年収は500万円。
でも、運動部の顧問をしているため年中無休。
一日の勤務時間は平均すると13時間くらい。
友人Cの場合。
外科医。救急専門。40代。年収3000万円。
休みはあってないようなもの。72時間連続勤務などしょっちゅう。
【時給換算すると…】
友人Aの場合。
日給 380万円÷365=10,410円
時給 10,410÷10=1,041円
Aは家族5人でこの時給だからさらに5で割ると
1,041÷5=208円
友人Bの場合。
日給 500万円÷365=13,698円
時給 13,698÷13時間=1,053円
友人Cの場合。
日給 3,000万円÷320=93,750円
時給 93,750÷20=4,687円
Aの時給は完全に労働基準法違反!(笑)
Bの時給はコンビニの学生深夜アルバイト並み。
さすがに医者のCの時給は高いけれど、医療過誤で訴えられたりした場合のことを考えるとどんなもんなんだろう、という金額。
風俗で働く20歳前後の女の子だったら、時給1万円くらい稼いでる。
【誰に仕えているのか】
時給換算などという味気ないことをやってしまうと、彼らのやってることは無意味にも見えるのだけれど、これによって彼らが仕えているものが明確になる。
3人が仕えているのは「お金」ではない、ということだ。
Aは大地に、Bは子どもたちに、Cは命の危機に瀕している人に、仕えている。
それも徹底して仕えている。
仕えすぎてBとCはほとんど家族と一緒に過ごすことができない。
それぞれ離婚の危機だ。
こういうのを世間ではブラックと呼ぶのだろうが、
教育・福祉・医療・農林水産業といった「命に直接関わる仕事」はブラックにならざるを得ないと、私は思う。
なぜなら、命のことに時間や休みは関係ないからだ。
どんなに疲れていても、何日も休んでいなくても、待ってくれないからだ。
教育・福祉・医療・農林水産業に従事する人はむしろブラックであることを誇っていい。
いや、すでにこれらの業界で懸命に命に仕えている人たちは、ブラックであることを誇りに思っているではないか。
ブラックな状況を誇れないのであれば、これらの業界には向いていないと考えるべきなのだ。
【二人の主人には仕えられない】
イエスがいう通り、私たちは二人の主人には仕えられない。
金に使えるか、命に仕えるか、二者から一つを選択しなければならない。
生きるとはそういうことだと、イエスはいっているだけだ。
最後に、家族全体の幸せ度ということからいうと、一番貧乏なAの一家が一番幸せに見える。
3人の息子は高卒。
貧乏だから大学にも行けなければ、結婚すら覚束ない。
けれど、彼らの顔は未来への希望に満ちて輝いている。
家族全員が大地という命の塊に仕え、そこから宝石のような野菜を戴いているAの一家を
ほんとうに羨ましいと思うのだ。
【友人たち】
友人Aの場合。
専業で無農薬・有機栽培の農家。50歳。年収は400万円に届かない。
妻と息子3人も彼の仕事を手伝っているが、息子たちは大学には上がれなかった。
家族全員年中無休。一日の労働時間は10時間くらい。
気象状況によっては徹夜が続くこともあり。
友人Bの場合。
公立中学校の先生。30代。年収は500万円。
でも、運動部の顧問をしているため年中無休。
一日の勤務時間は平均すると13時間くらい。
友人Cの場合。
外科医。救急専門。40代。年収3000万円。
休みはあってないようなもの。72時間連続勤務などしょっちゅう。
【時給換算すると…】
友人Aの場合。
日給 380万円÷365=10,410円
時給 10,410÷10=1,041円
Aは家族5人でこの時給だからさらに5で割ると
1,041÷5=208円
友人Bの場合。
日給 500万円÷365=13,698円
時給 13,698÷13時間=1,053円
友人Cの場合。
日給 3,000万円÷320=93,750円
時給 93,750÷20=4,687円
Aの時給は完全に労働基準法違反!(笑)
Bの時給はコンビニの学生深夜アルバイト並み。
さすがに医者のCの時給は高いけれど、医療過誤で訴えられたりした場合のことを考えるとどんなもんなんだろう、という金額。
風俗で働く20歳前後の女の子だったら、時給1万円くらい稼いでる。
【誰に仕えているのか】
時給換算などという味気ないことをやってしまうと、彼らのやってることは無意味にも見えるのだけれど、これによって彼らが仕えているものが明確になる。
3人が仕えているのは「お金」ではない、ということだ。
Aは大地に、Bは子どもたちに、Cは命の危機に瀕している人に、仕えている。
それも徹底して仕えている。
仕えすぎてBとCはほとんど家族と一緒に過ごすことができない。
それぞれ離婚の危機だ。
こういうのを世間ではブラックと呼ぶのだろうが、
教育・福祉・医療・農林水産業といった「命に直接関わる仕事」はブラックにならざるを得ないと、私は思う。
なぜなら、命のことに時間や休みは関係ないからだ。
どんなに疲れていても、何日も休んでいなくても、待ってくれないからだ。
教育・福祉・医療・農林水産業に従事する人はむしろブラックであることを誇っていい。
いや、すでにこれらの業界で懸命に命に仕えている人たちは、ブラックであることを誇りに思っているではないか。
ブラックな状況を誇れないのであれば、これらの業界には向いていないと考えるべきなのだ。
【二人の主人には仕えられない】
イエスがいう通り、私たちは二人の主人には仕えられない。
金に使えるか、命に仕えるか、二者から一つを選択しなければならない。
生きるとはそういうことだと、イエスはいっているだけだ。
最後に、家族全体の幸せ度ということからいうと、一番貧乏なAの一家が一番幸せに見える。
3人の息子は高卒。
貧乏だから大学にも行けなければ、結婚すら覚束ない。
けれど、彼らの顔は未来への希望に満ちて輝いている。
家族全員が大地という命の塊に仕え、そこから宝石のような野菜を戴いているAの一家を
ほんとうに羨ましいと思うのだ。