マタイ6:22~23
【ガザの惨状】
イスラエルによるガザ地区への攻撃が続いている。
イスラエル軍はとても親切で、ご丁寧に、砲撃の的になった家に電話をかけてきてくれるらしい。
「電話が切れた58秒後に着弾するので、速やかに逃げて下さい。」と。
乳児と、速く走れない幼児と、寝たきりの親と、車いすの家族がいても
お構いなしに砲弾は飛んでくる。
家と家族を吹き飛ばされ、嘆き喚く母親に向かってイスラエル軍はいう
「だから、速く逃げなさい、ていったのに」と。
…これでまたさらにパレスチナでの平和は遠のいた。
家族を奪われた人々は復讐に燃え、ゲリラとなってイスラエルを襲う。
血で血を洗う日々がまた始まっている。
そして、日本はアメリカに武器を売る。
その武器はアメリカからイスラエルへと供給されている。
ガザの少女からのメッセージに胸をえぐられる。
『お願いだから、武器をアメリカに売らないで!』
【明るいとはいえない日々】
「明るい日」と書いて明日。
明日はきっといい日だ。
今日がどんなに辛くても。
明日という言葉にはそんな思いが込められている。
しかし現実は違う。
世界中で戦争は終わらない。
いや終わらせたくない連中が意図的に戦争を起こし、継続させようとする。
日本は、ほんとはそういう連中と対峙して、憲法第九条にのっとり、
毅然として「対話による紛争解決」を求めつづけなければならないはずなのだが、
現政権はそれを望まない。
戦争を仕掛け、続けさせようとするアメリカに迎合するばかりだ。
日本は、とりあえず表面的には平和だが、いつガザのようになるかわからない。
いつ砲撃の予告電話が鳴るかわからない。
そんな不安が気持ちを暗くさせる。
【明日を明るくするために】
こんな日常を、「明るく」するにはどうしたらいいだろう。
明日を希望に満ちた明るい日にするにはどうしたらいいだろう。
イエスは「目を澄ませ」という。
目が澄んでいれば全身が明るくなる、濁っていれば全身が暗くなる、という。
ここで使われている「澄む」とは「物惜しみをしない」という言葉だ。
「濁る」とは「ケチ」という言葉だ。
神様から託されたものすべてを、周囲のために捧げ尽くす。
そうすればその人自身が明るくなる。
そしてさらにその人の明るさに照らされて、周囲もまた明るくなる。
逆に、神様から託されたものを、自分のためにしか使わない、あるいは自分のためにすら使わないような「ケチ」な生き方をしていると、自分自身が暗くなり、周囲もまた消沈していく。
私たちは余りにも、自分の幸せばかりを追いかけてはいないか。
自分の能力や財産や地位や学歴は、実は自分のためにあるのではない。
これらはすべて自分の周りにいる人を幸せにするためにあるのだ。
自分に備えられたものに拘ることをやめてみよう。
自分が持っているものを一旦手放し、周囲の、それがなくて困っている人にもらってもらおう。
そうすることで、明るさの輪がきっと広がっていく。
自分自身を明るくできなくて、世界平和を望んでもナンセンスだろう。
自分の身近な人を明るくできなくて、ガザに平和はこないだろう。
世界中に平和が訪れることを祈りながら、
私たちは「惜しまず捧げる」人でありたい。
【ガザの惨状】
イスラエルによるガザ地区への攻撃が続いている。
イスラエル軍はとても親切で、ご丁寧に、砲撃の的になった家に電話をかけてきてくれるらしい。
「電話が切れた58秒後に着弾するので、速やかに逃げて下さい。」と。
乳児と、速く走れない幼児と、寝たきりの親と、車いすの家族がいても
お構いなしに砲弾は飛んでくる。
家と家族を吹き飛ばされ、嘆き喚く母親に向かってイスラエル軍はいう
「だから、速く逃げなさい、ていったのに」と。
…これでまたさらにパレスチナでの平和は遠のいた。
家族を奪われた人々は復讐に燃え、ゲリラとなってイスラエルを襲う。
血で血を洗う日々がまた始まっている。
そして、日本はアメリカに武器を売る。
その武器はアメリカからイスラエルへと供給されている。
ガザの少女からのメッセージに胸をえぐられる。
『お願いだから、武器をアメリカに売らないで!』
【明るいとはいえない日々】
「明るい日」と書いて明日。
明日はきっといい日だ。
今日がどんなに辛くても。
明日という言葉にはそんな思いが込められている。
しかし現実は違う。
世界中で戦争は終わらない。
いや終わらせたくない連中が意図的に戦争を起こし、継続させようとする。
日本は、ほんとはそういう連中と対峙して、憲法第九条にのっとり、
毅然として「対話による紛争解決」を求めつづけなければならないはずなのだが、
現政権はそれを望まない。
戦争を仕掛け、続けさせようとするアメリカに迎合するばかりだ。
日本は、とりあえず表面的には平和だが、いつガザのようになるかわからない。
いつ砲撃の予告電話が鳴るかわからない。
そんな不安が気持ちを暗くさせる。
【明日を明るくするために】
こんな日常を、「明るく」するにはどうしたらいいだろう。
明日を希望に満ちた明るい日にするにはどうしたらいいだろう。
イエスは「目を澄ませ」という。
目が澄んでいれば全身が明るくなる、濁っていれば全身が暗くなる、という。
ここで使われている「澄む」とは「物惜しみをしない」という言葉だ。
「濁る」とは「ケチ」という言葉だ。
神様から託されたものすべてを、周囲のために捧げ尽くす。
そうすればその人自身が明るくなる。
そしてさらにその人の明るさに照らされて、周囲もまた明るくなる。
逆に、神様から託されたものを、自分のためにしか使わない、あるいは自分のためにすら使わないような「ケチ」な生き方をしていると、自分自身が暗くなり、周囲もまた消沈していく。
私たちは余りにも、自分の幸せばかりを追いかけてはいないか。
自分の能力や財産や地位や学歴は、実は自分のためにあるのではない。
これらはすべて自分の周りにいる人を幸せにするためにあるのだ。
自分に備えられたものに拘ることをやめてみよう。
自分が持っているものを一旦手放し、周囲の、それがなくて困っている人にもらってもらおう。
そうすることで、明るさの輪がきっと広がっていく。
自分自身を明るくできなくて、世界平和を望んでもナンセンスだろう。
自分の身近な人を明るくできなくて、ガザに平和はこないだろう。
世界中に平和が訪れることを祈りながら、
私たちは「惜しまず捧げる」人でありたい。