マタイ5:43~48
【無理難題の最後は「敵を愛する」】
イエスが提示する最後の無理難題は何と「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」です。
う~ん、これは、ううううう~、なんというか、ほんとにもお、
絶対無理!!て叫びたいくらい無理ですよ。
迫害ていうのは、たとえば捕まえて縛り上げて、拷問したり、猛獣の餌にされたり、石を投げつけられて殺されたり、火あぶりにされたり、ていう、自分の自由と生命財産を奪いにくる奴らのことをいうわけで、そんな連中のために何で祈らないとアカンねん?!
祈るにしても、そいつらがこの世にいなくなることや、他人を苦しめた報いを受けて誰よりも苦しい死に方をすることや、死んでも絶対天国ではなく地獄にいくことは祈りますが、その逆は無理です。
【神の目からみれば優劣はない?】
しかし、そんな私たちにイエスはいうのです。
「神さまは悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、また正しい人の上にも正しくない人の上にも雨を降らせてくださる」と。
そうか、神さまからすれば、私たちは所詮「目くそ鼻くそ」なのですね!
だったら、まあ「目くそ」の私が「鼻くそ」の敵のために、そいつの幸せを魂の安寧を、祈る、ていうのはありですね?!
って、そんなことない。
無理ですよ。
自分はまだしも、たとえば自分の家族を殺され、親友を殺され、家屋敷を焼かれ、自由を奪われたりしたら、そいつの幸せを祈るなんて、私には無理です。
【命令ではなく約束】
イエスの無理難題シリーズのテーマは、幾ら頑張っても神さまの御心にかなうことが出来ないロクデナシの私たちを、それでも神さまは「地上と天国の跡継ぎ」として選んでくださってる、てことです。
実は今日の箇所の最後の最後で、そのことが改めて、声高らかに宣言されています。
「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者になりなさい」と書かれていますが
原語では命令形ではなく「なるでしょう」と未来形で書かれているのです!
つまり、イエスは私たちのダメさ加減を指摘した上で、「そんなお前たちが、いつか必ず完全な者にされるのだ」と約束して下さっている。
出来なくていいんだ、必ず出来るようにして下さるから、大丈夫だよ。
とイエスは優しく語りかけていて下さっています。
今朝、大切な方を亡くされた方から「哀しいことがあると教会に行きたくなる」というメッセージが届きました。
その方にぜひお伝えしたいのは、後先にはなるけれど、私たちは必ず完全な者となり、また天国で顔を合わせ、一緒に食べ、一緒に呑み、一緒に歌を歌い、一緒に笑うのだ、ということです。
そのことをもイエスは約束して下さっています。
【無理難題の最後は「敵を愛する」】
イエスが提示する最後の無理難題は何と「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」です。
う~ん、これは、ううううう~、なんというか、ほんとにもお、
絶対無理!!て叫びたいくらい無理ですよ。
迫害ていうのは、たとえば捕まえて縛り上げて、拷問したり、猛獣の餌にされたり、石を投げつけられて殺されたり、火あぶりにされたり、ていう、自分の自由と生命財産を奪いにくる奴らのことをいうわけで、そんな連中のために何で祈らないとアカンねん?!
祈るにしても、そいつらがこの世にいなくなることや、他人を苦しめた報いを受けて誰よりも苦しい死に方をすることや、死んでも絶対天国ではなく地獄にいくことは祈りますが、その逆は無理です。
【神の目からみれば優劣はない?】
しかし、そんな私たちにイエスはいうのです。
「神さまは悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、また正しい人の上にも正しくない人の上にも雨を降らせてくださる」と。
そうか、神さまからすれば、私たちは所詮「目くそ鼻くそ」なのですね!
だったら、まあ「目くそ」の私が「鼻くそ」の敵のために、そいつの幸せを魂の安寧を、祈る、ていうのはありですね?!
って、そんなことない。
無理ですよ。
自分はまだしも、たとえば自分の家族を殺され、親友を殺され、家屋敷を焼かれ、自由を奪われたりしたら、そいつの幸せを祈るなんて、私には無理です。
【命令ではなく約束】
イエスの無理難題シリーズのテーマは、幾ら頑張っても神さまの御心にかなうことが出来ないロクデナシの私たちを、それでも神さまは「地上と天国の跡継ぎ」として選んでくださってる、てことです。
実は今日の箇所の最後の最後で、そのことが改めて、声高らかに宣言されています。
「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者になりなさい」と書かれていますが
原語では命令形ではなく「なるでしょう」と未来形で書かれているのです!
つまり、イエスは私たちのダメさ加減を指摘した上で、「そんなお前たちが、いつか必ず完全な者にされるのだ」と約束して下さっている。
出来なくていいんだ、必ず出来るようにして下さるから、大丈夫だよ。
とイエスは優しく語りかけていて下さっています。
今朝、大切な方を亡くされた方から「哀しいことがあると教会に行きたくなる」というメッセージが届きました。
その方にぜひお伝えしたいのは、後先にはなるけれど、私たちは必ず完全な者となり、また天国で顔を合わせ、一緒に食べ、一緒に呑み、一緒に歌を歌い、一緒に笑うのだ、ということです。
そのことをもイエスは約束して下さっています。