マタイ5:27~30


【おこめ券】

お恥ずかしい話だが、私は街を歩いていて米屋さんの前で『おこめ券』という登りやポスターを目にした時、必ずドキッ!となり、

「え?!そんなもんを売ってええん?!」と
ツッコミを入れてしまう。

運転中にうっかりこの文字を見た場合は、ほぼ毎回事故りそうになるくらい狼狽する。

この現象は、関東の方にはまったくピンとこない話だが、
大阪在住の男子の恐らく99%に該当するだろう!

それくらい大阪男子は女性器を表す方言である「お○こ」という言葉に敏感なのだ。
というか、年がら年中、私も含め、男子の頭の中は、女子のこと、というか、女子とのセックスのことでいっぱいおっぱいに、いや違う、一杯一杯になっている。

草食系男子と呼ばれる学生たちと話していると「え?ぼくらそんなことないっすよ。」と淡々と答えられて、これはこれで狼狽する。
そんなこといわれたら、私がめちゃくちゃエロいみたいやん?!



【イエスの無理難題】

21節から始まるイエスの無理難題シリーズの第2弾は「姦淫してはならない」という十戒のネタをさらに厳しく適用してくる。

元々は他人の妻を寝取るな、という話だったのが

28節「淫らな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」。

(いやまあ、肉食系男子はいつもそういう妄想の中で暮らしておりますが…)

で、強烈なのが29節以下

もし右の目があなたをつまづかせるなら、えぐり出して棄ててしまえ、
もし右の手があなたをつまづかせるなら、切り取って棄ててしまえ、

(そんなこと真面目にやってたら、右目・右手だけでなく、左目・左手も棄てなあかんし…しまいには全身を棄てないと…)

最後はもっと強烈で、

右目右手を失っても、全身地獄に投げ込まれるよりはいいやろ?!
とイエスはいうのだ。

(そらそおやけど、そんなん、絶対無理っす~!!!!)



【救いは彼岸にあり、彼岸から来る】

イエスが、これら一連の無理難題シリーズで何を伝えたかったのかというと、
例によって教条主義的な押しつけなどではなく

「人間はどんなに頑張っても、どんなに表面を取り繕っても、清く正しく美しく生きることなんか無理なんだ」ということだ。

同時に「そんな、セックスのことばっかり考えてる猿みたいな奴でも、神さまは見捨てず、天国に入れて下さる、この世の世継ぎにして下さる」ということだ。



いつも歌っている「主を待ち望む」という賛美歌の歌詞を想い出す。

「主を待ち望む者は 新たに力を受けて昇る 走り疲れず歩て倦まず 鷲のように昇る」とある。

私たちは、ほんとに救いようのない大馬鹿者だ。
そして、そんな自分に絶望する癖に、それでも懲りずにまた同じ過ちを繰り返す。

そんな私たちにしかし、神さまは彼岸(向こう岸)からいつも新しい力を授けて下さっている。

私たちに問われているのは、「その力を待ち望む気があるかどうか」なのだ。