マタイ5:21~26

【孤独な群衆】

以前、中学生・高校生と話をしていて、ネトウヨ(ネット右翼)のことが話題になり「そういえばツイッターやブログを読んでたら、自分以外はみんなバカ、て思ってる子多いよね」といった。

すると意外な反応が返ってきた。

「ネットの世界ではそういう発言してる子は確かにいるけど、実は正反対で、
ほんとはそういう(激しく他人を攻撃する)子の方が、自分だけがみんなより劣ってると思ってる、と思う。」

というのだ。
60年ほど前に、絆を無くした都市を彷徨う人々を指して「孤独な群衆」と呼んだ学者がいた。
この女子高校生の言葉を聞いたとき、ああ、今もこの「孤独な群衆」という言葉は生きているんだな、と思った。


【実は自分に腹を立てている】

22節に

兄弟に腹を立てるもの
兄弟に『ばか』というもの
兄弟に『愚か者』というもの

というのが出てくる、先の女子高校生の言葉を当てはめてみると
こういう人は、

自分に腹を立ててる人
自分に『ばか』といってる人
自分に『愚か者』といってる人

ということになる。


【自分を赦さない限り、牢屋からは出られない】

イエスは律法に書かれている「殺すな」では甘すぎる、腹を立てるもの・ばかというもの・愚か者というものもすべて地獄行きだ!
と無茶なことをいう。
そして、そうなりたくなければ、何をおいてでもまず相手と仲直りをしろ!という。

殺してやりたいほど腹が立つ相手がいる。
この世から消えてなくなればいいと思う相手がいる。
訴えてやる!と食ってかかってくる奴がいる。
お互い顔も見たくない、と思ってる身内がいる。

そういう相手とは、すぐに仲直りをしろ、とイエスはいう。
そうでないと一生、地獄の火に焼かれ続けるのだ、と。


これもまた先の女子高校生の言葉を当てはめると、
まず最初に仲直りしなければならないのは、他の誰でもなく「自分自身」だということになる。

そうなのだ。
他人と和解するためには、まず自分と和解しなければならない、ということだ。

確かに、イエスがいう通り
自分自身を許せず、自分に腹を立て、自分を馬鹿だと見下し、愚か者だと罵る時、
私たちは地獄の火の中に投げ込まれたような思いになる。
あるいは、暗い牢屋の中に一人永遠に閉じ込められたような思いになる。
この苦しい思いから、真っ暗な孤独から、どうやったら脱け出せるのかと、もがき苦しむ。


【赦す、敬う、誉める】

しかし、そこから脱け出す道は意外なことに、自分の中にある。

赦せない自分を赦す
馬鹿だと見下していた自分を尊敬する
愚かだと罵っていた自分を誉める

赦す
敬う
誉める

この中のどれか一つでいい、それが出来たら
私たちは自分と和解することができるのだ。

さて、私はどれから始めようか!