マタイ5:13~16

■■■ いわゆる「ひきこもり」といわれる友人たちと話していると、
みな次のような悩みを抱えていて、苦しいという。

  人と上手くつきあえない、

  他人が怖い、

  他人を上手く理解できない、

  自分の考えを人に伝えるのが苦痛だ、

  誤解されるのが怖い、

  何かにつけ長続きしない、

  新しいことは怖くてチャレンジできない、

  周りの人は自分より優れている(自分は誰よりも劣っている)

少々乱暴にまとめると
「自分は何の役にも立たない、生きていても意味のない存在だ」という自分への評価と
「自分は誰かの役に立ちたい、必要とされたい」という願望との間に距離がありすぎて苦しんでいるように見えるのだ。


■■■ 時代は2000年ほど遡る。
イエスは、ガリラヤ湖の畔にいた。
イエスの周りには癒しを求め、救いを求め、やってきた人々が数千人も集まっていた。
みな疲れ果て、打ち拉がれ、地べたに座り込み、うなだれていた。

イエスに群がった人々はさまざまな理由で差別され当時のユダヤ社会で居場所がなかった。
社会参加が果たせていないという点では「ひきこもり」の友人たちと同じ苦しみを抱えていた。
その人々に向かってイエスはとんでもないことをいいだした。

  お前たちは「地の塩」であり「世の光」だ!

そういわれた人々はきっと驚いたに違いない。
なぜなら、いままで自分を「塩」や「灯」だと思ったことなどなかったからだ。

塩の役目は何だ?
食品の鮮度を保ち、旨味を引き出し、人々を元気にすることだ。

ランプの役目は何だ?
周囲を明るく照らし、人々を暗闇から解放することだ。

だとすれば、自分たちは「塩」や「灯」などからほど遠い存在だろう?!とみな思ったに違いない。
この社会で無き者とされ、無用とされている自分たち。
そんな自分が一体誰を元気づけるというのだ?
そんな自分が一体誰を暗闇から解放するというのだ?
そんなこと出来るはずがない!!と。


■■■ 偏差値30点の子と偏差値70点の子は地頭(元々の能力)に差はない、といわれている。
能力に差がないのになぜ学校の成績に差が出てくるのかというと、「バカ」といわれているかどうかで決まるのだという。
「お前はバカだ」と言われ続け、否定され続けて育つと、その子は自分をバカだと思い込み肯定的で前向きな生き方が出来なくなり、その結果の一つとして学力が身に付かなくなるそうだ。

確かに人間は思い込みの生き物だ。
病は気からという言葉もある。
ダメだと思ったらダメになっていく。
いつも明るい未来をイメージして、上手くいく自分をイメージして、苦しいときでも笑顔で暮らしていると人生は開けていく。
そしてそれだけでなく、自分が旧い自分から解放されるとき、自分が属する社会もまた変っていくのだ。

自分には誰かを元気づけることなんか出来ない、と思い込んでいる限り、私たちは誰も元気付けることはできないだろう。
自分には誰かを明るく照らし、その人を暗闇から解放することなんか出来ない、と思い込んでいる限り、私たちは誰一人、明るい世界に導くことは出来ないだろう。

イエスはいうのだ、

  お前たちは「地の塩」だ、「世の光」だ。

と。

私たちを見守り、支え、導いて下さる方がそういって下さるのだ。
怖れずに、この言葉を信用してみたらどうだろう。

  自分は「地の塩」だ。自分には誰かを元気づける力があるんだ。
  自分は「世の光」だ。自分には誰かを暗闇から解放する力があるんだ。

そう思って生きてみてはどうだろう。
お前はダメだ、何の役にも立たないクズだ、と鏡の中の自分に語りかけるのをやめて
お前は「塩」だ、「光」だ、怖れず人と関わろう、と語りかけてみてはどうだろう。


■■■ ところで、イエスが私たちを塩と灯に例えて下さったことにはもう一つの意味がある。

塩は誰かの旨味を引き出し、誰かを元気付けるけれど、塩である自分自身を元気付けることは出来ない。

灯は自分の周りを明るく照らし、誰かを暗闇から解放するけれど、灯である自分自身を明るく照らすことは出来ない。

要は塩であり光である私は、自分以外の誰かから塩を与えてもらわなければ元気が出ないし、
自分以外の誰かに照らしてもらわなければ暗闇から解放されない、ということだ。

誰かの役に立てる自分は、実は誰かから支えられている自分でもある。
誰かに塩を口に入れてもらい、誰かに照らしてもらっているから、自分は元気であり続け明るく輝き続けられ、そして誰かの役に立てるのだ。

しかも、自分を支えてくれる誰かとは、見るからに価値ある人ではない。
自分のようにこの世で居場所を奪われ、生きる価値がないと思われ、無用の者と位置づけられている、社会の片隅で肩身狭く息を潜めて生きている、そのような人が、実は自分に塩を授け、暗闇から解き放ってくれるのだ。


こういう関係、こういう状況を何といえばいいだろう?

そう、あなたは、私は、独りぼっちじゃない、てことだ。
あなたは、私は、誰も独りぼっちにしてはいけない、てことだ。

イエスが一番伝えたかったことは結局そういうことだと思う。

みんな誰かの役に立つ、みんな誰かに支えられている、みんな独りぼっちじゃない。

そしてその輪の中に、イエスはずっといてくれるのだ。