マタイ5:1~12
【幸せな人とは誰か】
ここから7章まで、いわゆる「山上の説教」が納められている。
最初に語られるのは「幸い」ということ。
どういう人が幸せな人だといえるのか、そしてその理由は何かを
イエスは集まった群衆に向かって語る。
3節 心が貧しい人々 …天の国はその人たちのものだから
4節 悲しむ人々 …慰められるから
5節 柔和な人々 …地を受け継ぐから
6節 義に飢え乾く人々…満たされるから
7節 憐れみ深い人々 …憐れみを受けるから
8節 心の清い人々 …神を見るから
9節 平和を実現する人々…神の子と呼ばれるから
10節 義のために迫害される人々…天の国はその人たちのものだから
3節の「心が貧しい」というのは「霊において貧しい」という言葉。
旧約聖書ではたとえば詩篇10:2、10:9「貧しい人」が元になっている。
詩篇10編では「貧しい人」=「罪もない人」、「不運な人」、「神に逆らう者から虐げられる人」として描かれている。
5節の「柔和な」は「貧しい」とほぼ同じ意味の言葉。元々は3節を解説するために欄外に書き残された文章だとも言われている。もしそうなら、神との関係を正しくする人、そのために虐げられる人は「天も地も受け継ぐ」ということになる。
イエスの目の前に座り込んでいる人たちは誰か。
それは、その日食べるものにも困っている人だ。
病のために障碍のためにコミュニティから追われた人だ。
友達からも見放され、家族との絆を断たれ、孤独に生き、孤独に死んでいこうといている人だ。
自分が積極的に罪を犯した訳ではないのに、望んだ訳でもないのに、不運にも差別され貶(おとし)められている人だ。
その人たちに向かってイエスはいう。
あなたたちは幸せだ、天と地を受け継ぐから、と。
天国はあなたたちのものだ、地上もあなたたちのものだ、と。
【なぜ幸せだといえるのか】
120年前の足尾銅山鉱毒事件。
終戦間際の沖縄地上戦、広島長崎の原爆。
高度成長期に起きた数々の公害病。
そして福島の原発事故。
私たちは私利私欲に走る起業家・政治家・官僚たちにいいようにあしらわれ、苦しめられ、命を脅かされている。
イエスが語りかけている相手とは実は私たちなのだ。
地べたにへたりこんで不運を嘆き、天を仰ぎ、神を呪っている、そんな私たちにイエスは「幸いだ」という。
ゴスペルの作家でカーク・フランクリンという人がいる。
彼の作品はどれも感動的だが、私は今日の箇所を読みながら、
”Lean on me”という曲を想い出した。
http://www.youtube.com/watch?v=PXBKaOkmQhw
http://www.youtube.com/watch?v=7Cj5uYlwp6o
この作品には
家も職も失い、食べるものもない男性
誰の子かわからない赤ちゃんを産み高校を退学し、頼る相手を求めるシングルマザー
HIVにかかり病気が癒されることを願いながら死んでいく少年
が描かれている。
これら登場人物たちに向かってイエスの言葉として次のような歌詞が出てくる。
I am here
You don't have to worry
I can see your tears
(私はここにいるよ
心配するな
私はあなたの涙を知っている)
I'll be there in a hurry when you call
Friends are there to catch you when you fall
Here's my shoulder, you can lean on me
(あなたが呼んでくれれば私はすぐにそこに行く
あなたが奈落に落ちていくとき、私はあなたを掴まえる
私の肩に、私に、あなたはすがっていいんだよ)
そうなのだ、何が一番幸せかというと、
イエスが私たちのそばにいて、私たちの涙をぬぐい、しっかりと抱き留め、もたれかからせて下さる、ということが一番の幸せなのだ。
天と地を嗣ぐ、といってもらったからといって現実は変わらない、
権力者によって虫けらのように殺されていく運命からは逃れられない。
しかし、イエスはいってくれる”Lean on me”と。
イエスによりかかりすべてを預けるとき、私たちはすでに天にいるのだ。
【幸せな人とは誰か】
ここから7章まで、いわゆる「山上の説教」が納められている。
最初に語られるのは「幸い」ということ。
どういう人が幸せな人だといえるのか、そしてその理由は何かを
イエスは集まった群衆に向かって語る。
3節 心が貧しい人々 …天の国はその人たちのものだから
4節 悲しむ人々 …慰められるから
5節 柔和な人々 …地を受け継ぐから
6節 義に飢え乾く人々…満たされるから
7節 憐れみ深い人々 …憐れみを受けるから
8節 心の清い人々 …神を見るから
9節 平和を実現する人々…神の子と呼ばれるから
10節 義のために迫害される人々…天の国はその人たちのものだから
3節の「心が貧しい」というのは「霊において貧しい」という言葉。
旧約聖書ではたとえば詩篇10:2、10:9「貧しい人」が元になっている。
詩篇10編では「貧しい人」=「罪もない人」、「不運な人」、「神に逆らう者から虐げられる人」として描かれている。
5節の「柔和な」は「貧しい」とほぼ同じ意味の言葉。元々は3節を解説するために欄外に書き残された文章だとも言われている。もしそうなら、神との関係を正しくする人、そのために虐げられる人は「天も地も受け継ぐ」ということになる。
イエスの目の前に座り込んでいる人たちは誰か。
それは、その日食べるものにも困っている人だ。
病のために障碍のためにコミュニティから追われた人だ。
友達からも見放され、家族との絆を断たれ、孤独に生き、孤独に死んでいこうといている人だ。
自分が積極的に罪を犯した訳ではないのに、望んだ訳でもないのに、不運にも差別され貶(おとし)められている人だ。
その人たちに向かってイエスはいう。
あなたたちは幸せだ、天と地を受け継ぐから、と。
天国はあなたたちのものだ、地上もあなたたちのものだ、と。
【なぜ幸せだといえるのか】
120年前の足尾銅山鉱毒事件。
終戦間際の沖縄地上戦、広島長崎の原爆。
高度成長期に起きた数々の公害病。
そして福島の原発事故。
私たちは私利私欲に走る起業家・政治家・官僚たちにいいようにあしらわれ、苦しめられ、命を脅かされている。
イエスが語りかけている相手とは実は私たちなのだ。
地べたにへたりこんで不運を嘆き、天を仰ぎ、神を呪っている、そんな私たちにイエスは「幸いだ」という。
ゴスペルの作家でカーク・フランクリンという人がいる。
彼の作品はどれも感動的だが、私は今日の箇所を読みながら、
”Lean on me”という曲を想い出した。
http://www.youtube.com/watch?v=PXBKaOkmQhw
http://www.youtube.com/watch?v=7Cj5uYlwp6o
この作品には
家も職も失い、食べるものもない男性
誰の子かわからない赤ちゃんを産み高校を退学し、頼る相手を求めるシングルマザー
HIVにかかり病気が癒されることを願いながら死んでいく少年
が描かれている。
これら登場人物たちに向かってイエスの言葉として次のような歌詞が出てくる。
I am here
You don't have to worry
I can see your tears
(私はここにいるよ
心配するな
私はあなたの涙を知っている)
I'll be there in a hurry when you call
Friends are there to catch you when you fall
Here's my shoulder, you can lean on me
(あなたが呼んでくれれば私はすぐにそこに行く
あなたが奈落に落ちていくとき、私はあなたを掴まえる
私の肩に、私に、あなたはすがっていいんだよ)
そうなのだ、何が一番幸せかというと、
イエスが私たちのそばにいて、私たちの涙をぬぐい、しっかりと抱き留め、もたれかからせて下さる、ということが一番の幸せなのだ。
天と地を嗣ぐ、といってもらったからといって現実は変わらない、
権力者によって虫けらのように殺されていく運命からは逃れられない。
しかし、イエスはいってくれる”Lean on me”と。
イエスによりかかりすべてを預けるとき、私たちはすでに天にいるのだ。