マタイ4:18~22
四つの福音書はそれぞれ異なった編集意図の下に書かれている。
マルコが「一人一人と真っ直ぐ向き合い、寄り添い続けたイエス」を描くのに対して
マタイは「そのイエスと人々とのつながりの広がり」を描いているように思える。
18節の「ご覧になった」は直訳すれば「真っ直ぐ見た」という言葉だ。
イエスは、2000年前のユダヤで差別され、見ることも憚られる存在だったシモンとアンデレを「真っ直ぐ見た」のだ。
生まれて初めて家族や漁師仲間以外の人間から「真っ直ぐ見られた」彼らは驚き狼狽したに違いない。
しかしその困惑は「一緒に行こう。人と人とをつなぐ仕事をしに行こう!」とイエスに言われた時、この上ない喜びに変化した。
イエスと二人の若い漁師の間に生まれた「つながり」が、この後世界中に広がるつながりの端緒となった。
311から間もなく3年が過ぎようとしている。
私は震災後初めて被災地を訪れることが出来た。
2月4日に米沢入りし、5日と6日福島から避難して来られた方々から、また6日午後からはJR福島駅近くの笹谷東部応急仮設住宅と南矢野目応急仮設住宅を訪ね、浪江町から避難してこられた方々からお話しを聴くことが出来た。
そして7日、私はボランティア山形の井上さんが運転して下さる車に乗り、峠を越えて福島に入りそのまま南相馬に向かった。
南相馬からは馬りょう太鼓の名手・渡辺さんに浪江町の沿岸部からJR浪江駅までをご案内いただいた。
今も被災地には復興の兆しすらない。
津波被害に遭った地区では瓦礫のほとんどが片付けられているが、街の復興とはほど遠い。
避難勧告地域は全住民が仮設に避難しているためゴーストタウンと化したままだ。
線量が高くて手がつけられない場所も多い。
というか、同じ場所でも風向きによって線量は乱高下する。
そんな場所には帰りたくても帰れない。
汚染はこの先何百年・何千年もなくならない。
にもかかわらず国も県も明確な方針を打ち出さない。
そんな中で母子避難も限界に達している。
かといって危険な場所に子どもを連れて戻るわけにはいかない。
離れて暮らす間に、家庭が崩壊するケースも増えてきている。
私はこの訪問で「福島からの避難者を、定住を前提で受け容れられる仕組みが、関西を始め西日本には必要だ」と強く思った。
私たちは大阪で、奈良で、和歌山で、福島の家族と新たなつながりを創造しなければならない。
それが出来なければ国と県から見捨てられた福島県民の安住の場はますます減っていくだろう。
イエスはつながりの外に置かれていた人をつながりの中に帰した。
真っ直ぐ見つめ、呼びかけ、寄り添い、新たなつながりを創造した。
そのつながりは時を超え、場所を越え、私たちをその中に招き入れてくれた。
今度は私たちが新たなつながりを生み出すことを求められている。
寄る辺も、行き場もない、福島で被災さいた方々と新しいつながりを生み出すことを求められている。
四つの福音書はそれぞれ異なった編集意図の下に書かれている。
マルコが「一人一人と真っ直ぐ向き合い、寄り添い続けたイエス」を描くのに対して
マタイは「そのイエスと人々とのつながりの広がり」を描いているように思える。
18節の「ご覧になった」は直訳すれば「真っ直ぐ見た」という言葉だ。
イエスは、2000年前のユダヤで差別され、見ることも憚られる存在だったシモンとアンデレを「真っ直ぐ見た」のだ。
生まれて初めて家族や漁師仲間以外の人間から「真っ直ぐ見られた」彼らは驚き狼狽したに違いない。
しかしその困惑は「一緒に行こう。人と人とをつなぐ仕事をしに行こう!」とイエスに言われた時、この上ない喜びに変化した。
イエスと二人の若い漁師の間に生まれた「つながり」が、この後世界中に広がるつながりの端緒となった。
311から間もなく3年が過ぎようとしている。
私は震災後初めて被災地を訪れることが出来た。
2月4日に米沢入りし、5日と6日福島から避難して来られた方々から、また6日午後からはJR福島駅近くの笹谷東部応急仮設住宅と南矢野目応急仮設住宅を訪ね、浪江町から避難してこられた方々からお話しを聴くことが出来た。
そして7日、私はボランティア山形の井上さんが運転して下さる車に乗り、峠を越えて福島に入りそのまま南相馬に向かった。
南相馬からは馬りょう太鼓の名手・渡辺さんに浪江町の沿岸部からJR浪江駅までをご案内いただいた。
今も被災地には復興の兆しすらない。
津波被害に遭った地区では瓦礫のほとんどが片付けられているが、街の復興とはほど遠い。
避難勧告地域は全住民が仮設に避難しているためゴーストタウンと化したままだ。
線量が高くて手がつけられない場所も多い。
というか、同じ場所でも風向きによって線量は乱高下する。
そんな場所には帰りたくても帰れない。
汚染はこの先何百年・何千年もなくならない。
にもかかわらず国も県も明確な方針を打ち出さない。
そんな中で母子避難も限界に達している。
かといって危険な場所に子どもを連れて戻るわけにはいかない。
離れて暮らす間に、家庭が崩壊するケースも増えてきている。
私はこの訪問で「福島からの避難者を、定住を前提で受け容れられる仕組みが、関西を始め西日本には必要だ」と強く思った。
私たちは大阪で、奈良で、和歌山で、福島の家族と新たなつながりを創造しなければならない。
それが出来なければ国と県から見捨てられた福島県民の安住の場はますます減っていくだろう。
イエスはつながりの外に置かれていた人をつながりの中に帰した。
真っ直ぐ見つめ、呼びかけ、寄り添い、新たなつながりを創造した。
そのつながりは時を超え、場所を越え、私たちをその中に招き入れてくれた。
今度は私たちが新たなつながりを生み出すことを求められている。
寄る辺も、行き場もない、福島で被災さいた方々と新しいつながりを生み出すことを求められている。