マタイによる福音書1:6b~11
【裸の王様】
権力者が私利私欲に突っ走ると、見ていられないような破廉恥なことをし始める。
マタイが記したイエス・キリストの祖先、アブラハム、イサク、ヤコブたちはロクデナシだったが、
王国時代に入った後も王たちもまた、どうしようもない連中だった。
名君と呼ばれるダビデでさえ、
部下の妻バト・シェバを自分の物にするために、忠実なその部下を最前線に送り見殺しにした。
(サムエル記下11:1~)
ダビデの死後、バト・シェバの間に生まれた次男ソロモン(長男は神からの罰として亡くなった)が王位を継ぎ、その知恵と政治手腕で王国に繁栄をもたらした。
しかし、700人の妻と300人の側室を溺愛した王は、異教を拝する外国人妻たちの機嫌を取るためにヤハウェ以外の神を拝み、賛美し、犠牲を捧げたのだった。
【王様は裸じゃないか】
裸の王様たちがいい気になって我が世を謳歌している時、
王が裸であることを声高く指摘し、その所業を叱責し、回心を促す者がいた。
預言者たちだ。
有名どころでいうと、ダビデの側近だったナタン、
ソロモンの晩年、王国が分裂することを予言したアヒヤ、
マタイの系図には出てこないが北の王たちに進言し続けたエリヤとエリシャ。
彼らはみな、王たちに
「あなたの心はどこを向いているのか?」
「あなたはどこに向かって、誰のために生きているのか?」
と問い続けた。
【悔い改めとは改心ではなく回心すること】
アブラハム、イサク、ヤコブがそうだったように
私たちもまたロクデナシの人生を歩んでいる。
王国の歴代の王たちがそうだったように、
私たちもまた欲の虜であり、権力を得て他者に君臨することを羨望し、
「威張る」ことの魅力に抗えない。
親や教師や先輩に、どんなに諭されようと、叱責されようと
私たちは改心などできない。
自分たちが今までしがみついてきた生き方を改変することなど、到底できない。
しかし、預言者たちが求めたのは改心ではなく回心だ。
変えることは困難でも、私たちは心を回すことは出来るのではないか。
こんなに弱い自分でも心が向く方向を変え、生きる先を変えることは、もしかしたら可能なのではないか。
実はそのことを伝えるためにイエスはこの世に生まれた、のだと思う。
そして、
心を回す、それさえも出来ないくらい私たちは弱い。
そんなどうしようもない私たちに寄り添うために、イエスは今も私たちの中にいる。
【裸の王様】
権力者が私利私欲に突っ走ると、見ていられないような破廉恥なことをし始める。
マタイが記したイエス・キリストの祖先、アブラハム、イサク、ヤコブたちはロクデナシだったが、
王国時代に入った後も王たちもまた、どうしようもない連中だった。
名君と呼ばれるダビデでさえ、
部下の妻バト・シェバを自分の物にするために、忠実なその部下を最前線に送り見殺しにした。
(サムエル記下11:1~)
ダビデの死後、バト・シェバの間に生まれた次男ソロモン(長男は神からの罰として亡くなった)が王位を継ぎ、その知恵と政治手腕で王国に繁栄をもたらした。
しかし、700人の妻と300人の側室を溺愛した王は、異教を拝する外国人妻たちの機嫌を取るためにヤハウェ以外の神を拝み、賛美し、犠牲を捧げたのだった。
【王様は裸じゃないか】
裸の王様たちがいい気になって我が世を謳歌している時、
王が裸であることを声高く指摘し、その所業を叱責し、回心を促す者がいた。
預言者たちだ。
有名どころでいうと、ダビデの側近だったナタン、
ソロモンの晩年、王国が分裂することを予言したアヒヤ、
マタイの系図には出てこないが北の王たちに進言し続けたエリヤとエリシャ。
彼らはみな、王たちに
「あなたの心はどこを向いているのか?」
「あなたはどこに向かって、誰のために生きているのか?」
と問い続けた。
【悔い改めとは改心ではなく回心すること】
アブラハム、イサク、ヤコブがそうだったように
私たちもまたロクデナシの人生を歩んでいる。
王国の歴代の王たちがそうだったように、
私たちもまた欲の虜であり、権力を得て他者に君臨することを羨望し、
「威張る」ことの魅力に抗えない。
親や教師や先輩に、どんなに諭されようと、叱責されようと
私たちは改心などできない。
自分たちが今までしがみついてきた生き方を改変することなど、到底できない。
しかし、預言者たちが求めたのは改心ではなく回心だ。
変えることは困難でも、私たちは心を回すことは出来るのではないか。
こんなに弱い自分でも心が向く方向を変え、生きる先を変えることは、もしかしたら可能なのではないか。
実はそのことを伝えるためにイエスはこの世に生まれた、のだと思う。
そして、
心を回す、それさえも出来ないくらい私たちは弱い。
そんなどうしようもない私たちに寄り添うために、イエスは今も私たちの中にいる。