マルコ15:21~32
■処刑されたイエス
イエスは十字架に釘付けにされた。
ユダヤ教の権力者たちも、見物人も、一緒に処刑された2人の罪人も、みな口々にイエスを罵った。
「自分を救ってみろ!」と。
イエスの凄いのは、
自分の持てる能力を、人々には使ったけれど
自分にだけは使わなかった、ということだ。
真っ直ぐ向き合い、寄り添い、慰め、癒し、そして救う、という能力を
イエスは惜しみなく他人に注ぎ続けたのだけれど、
自分のためには使わなかった。
罵る者たちがいった通り、イエスには十字架から降り、自分を救うことも可能であったのに
なぜ、そうしなかったのか。
それは、イエスが自分の使命=自分ではなく他人を救うこと、に徹底的に従ったからだ。
■1人でも誰かを救えるのなら
31節に「他人は救ったのに、自分は救えなかった」と祭司長や律法学者たちの言葉が記されている。
私は彼らに問いたい、ではあなたは誰か1人でも他人を救ったのか、と。
大宇陀に天益寺という真言宗のお寺がある。
ご住職の西谷さんとは25年来のお付き合いをさせていただいているのだが、
実は西谷さんは「加持祈祷」で癌を消す。
私の脳腫瘍も、妻の乳がんも、西谷さんに消してもらった。
私は西谷さんの能力が羨ましくて、ある日こう訊ねた。
「お加持」を身に付けたら、一生のうちに何人の人を助けることが出来るのですか?と。
西谷さんは「生まれて死ぬまでの間に、1人でも誰かを救うことが出来たら、それはとても幸せなことではないですか?」と答えられた。
そうなのだ。
私たちには元々、誰か他人を救う能力など有りはしないのだ。
病気や怪我で苦しむ身近な人を、祈りや手当てで救うことの根拠は私たち自身の中にはない。
ただ神さまの力がその人に注がれ満たされることを願うしかないのだ。
■クロスロード伝説
ロバート・ジョンソンというブルースマンがいた。
わずか27歳で世を去った天才ギタリストだ。
かれは十字路に立った時、悪魔と出逢い、自分の魂と引き替えに超絶的なギターのテクニックを手にした、という逸話(クロスロード伝説)が残っている。
私は勝手にこの逸話の背景には、21節にあるキレネ人シモンの物語があると思っている。
キレネ人シモンという人は
田舎からエルサレム参りに来ていた、ただの通りすがりだった。
ぶらぶらと観光して回ってただけなのに、刑場に向かうイエスたちと遭遇してしまう。
しかも目の前でイエスの体力が尽き、横木を担げなくなってしまったため、
代わりに横木を担がされる羽目になる。
私は、ロバート・ジョンソンを羨ましいと思う。
道で偶然出会った悪魔に、あんなに素晴らしい能力を授けてもらえるなんて!と。
同様に、私はこのキレネ人シモンも羨ましい。
他人の魂を救うために自分の命を差し出したイエスの、その道行きで
その使命を全うするためのお手伝いが出来たのだから!
そんなつもりではなかったのに、ひょっこり出くわした人のせいで人生が変わる、ということは確かにある。
いま、あなたの目の前を、あなたの身代わりとなって無実の罪を背負って死のうとして下さる方が通る。
ほんとはあなたが受けなければならない侮辱を一身に受けながら。
あなたは天から授かったその能力を、誰のために使いますか?
■処刑されたイエス
イエスは十字架に釘付けにされた。
ユダヤ教の権力者たちも、見物人も、一緒に処刑された2人の罪人も、みな口々にイエスを罵った。
「自分を救ってみろ!」と。
イエスの凄いのは、
自分の持てる能力を、人々には使ったけれど
自分にだけは使わなかった、ということだ。
真っ直ぐ向き合い、寄り添い、慰め、癒し、そして救う、という能力を
イエスは惜しみなく他人に注ぎ続けたのだけれど、
自分のためには使わなかった。
罵る者たちがいった通り、イエスには十字架から降り、自分を救うことも可能であったのに
なぜ、そうしなかったのか。
それは、イエスが自分の使命=自分ではなく他人を救うこと、に徹底的に従ったからだ。
■1人でも誰かを救えるのなら
31節に「他人は救ったのに、自分は救えなかった」と祭司長や律法学者たちの言葉が記されている。
私は彼らに問いたい、ではあなたは誰か1人でも他人を救ったのか、と。
大宇陀に天益寺という真言宗のお寺がある。
ご住職の西谷さんとは25年来のお付き合いをさせていただいているのだが、
実は西谷さんは「加持祈祷」で癌を消す。
私の脳腫瘍も、妻の乳がんも、西谷さんに消してもらった。
私は西谷さんの能力が羨ましくて、ある日こう訊ねた。
「お加持」を身に付けたら、一生のうちに何人の人を助けることが出来るのですか?と。
西谷さんは「生まれて死ぬまでの間に、1人でも誰かを救うことが出来たら、それはとても幸せなことではないですか?」と答えられた。
そうなのだ。
私たちには元々、誰か他人を救う能力など有りはしないのだ。
病気や怪我で苦しむ身近な人を、祈りや手当てで救うことの根拠は私たち自身の中にはない。
ただ神さまの力がその人に注がれ満たされることを願うしかないのだ。
■クロスロード伝説
ロバート・ジョンソンというブルースマンがいた。
わずか27歳で世を去った天才ギタリストだ。
かれは十字路に立った時、悪魔と出逢い、自分の魂と引き替えに超絶的なギターのテクニックを手にした、という逸話(クロスロード伝説)が残っている。
私は勝手にこの逸話の背景には、21節にあるキレネ人シモンの物語があると思っている。
キレネ人シモンという人は
田舎からエルサレム参りに来ていた、ただの通りすがりだった。
ぶらぶらと観光して回ってただけなのに、刑場に向かうイエスたちと遭遇してしまう。
しかも目の前でイエスの体力が尽き、横木を担げなくなってしまったため、
代わりに横木を担がされる羽目になる。
私は、ロバート・ジョンソンを羨ましいと思う。
道で偶然出会った悪魔に、あんなに素晴らしい能力を授けてもらえるなんて!と。
同様に、私はこのキレネ人シモンも羨ましい。
他人の魂を救うために自分の命を差し出したイエスの、その道行きで
その使命を全うするためのお手伝いが出来たのだから!
そんなつもりではなかったのに、ひょっこり出くわした人のせいで人生が変わる、ということは確かにある。
いま、あなたの目の前を、あなたの身代わりとなって無実の罪を背負って死のうとして下さる方が通る。
ほんとはあなたが受けなければならない侮辱を一身に受けながら。
あなたは天から授かったその能力を、誰のために使いますか?