マルコ15:16~20
【王者の紫】
死刑を宣告された時、イエスは貧しい服装をしていた。
刑場に連行するため集まった兵士たちはその服を脱がせ、紫の衣を着せた。
紫とは王を示す色だ。
ジュリアス・シーザーは紫のマントを着ていた。
クレオパトラが乗っていた旗艦の帆も紫だったという。
ローマ帝国では、巻き貝で染めた紫色は「王者の紫」と呼ばれ、権力者にもてはやされた。
そんな高価な衣を兵士たちが持っていたとは考えられない。
恐らく、イエスを徹底的に侮辱し、貶むため、
ユダヤ教の指導者たちがこっそり兵士たちに手渡したのだろう。
【侮辱される】
王を表す紫の衣を着せられたイエスは、
兵士たちに罵倒され
唾を吐きかけられ、
硬い葦の棒で小突かれ、
「ユダヤ人の王ばんざい!」と跪かれた。
もしイエスが神の子ならば、これほどの侮辱はない。
圧倒的な高みにいる存在が、圧倒的な低さをうごめくしかない存在によって、徹底的に踏みつけにされるのだから。
【暴力の連鎖】
最近また、DVや虐待に晒されてきた方たちと話す機会が、増えた。
大変な苦しみの中を生き抜いてこられたことに胸を打たれる。
よくぞあの時死なずにいてくれた、生きていてくれてありがとう、と感謝せずにはおれない。
加害者のしたことを許すことはできないけれど、加害者も被害者同様、救いの手が必要だ。
特に加害者である親が救われ回復することは、「大好きな親」から虐待を受けた子どもたちにとって、なくてはならないことなのだ。
自分に出来る支援のあり方を思案している。
その一方で、暴力に晒され続けた人が、
自分が優位に立った途端、加害者に転じる、というケースが多いのも事実。
暴力は暴力を生み、抑圧は抑圧を生むのだ。
イエスを侮辱した兵士たちもその1人だろう。
権力者によって徹底的に支配され、思うように生きることが許されない。
悔しい思い、恥ずかしい思い、腹立たしい思い、がずっと続く毎日。
そんな彼らが、イエスという「自分たちの思いを晴らす生け贄」を手に入れたのだ。
普段やられている暴力・侮辱をイエスに注ぐことで、兵士たちの気持ちは少しは楽になっただろうか。
【自分で終わらせる】
強い者が弱い者をいたぶり、弄び、支配し続ける。
弱い者はさらに弱い者を見つけ、自分がやられたように、その弱い者をいたぶる。
このような連鎖はどうやったら止められるのか。
強い者は弱い者を守らなければならない、というルールをどうやったら取り戻すことができるのか。
フクイチの事故収束作業にあたる作業員の友人がいる。
彼は、東電や政府や官僚たちへの不満をいう一方で、
「自分たちで終わらせる」という。
この苦しみの連鎖は自分たちの手で終わらせたい、というのだ。
強いものにいたぶられたように、弱い者相手に君臨したい、というのではなく、
やられたことは全部飲み込んで、赦してやる。
その上で、弱い者を絶対に守り抜く、という決意がみなぎっている。
兵士達から強烈な侮辱を受けながらイエスはされるがままになっていた。
そしてこのあとイエスは十字架にかかって死ぬ。
敵を救うために、敵の身代わりとなって死ぬ。
こんなことは自分で終わらせる。
やられたことは全部飲み込んで赦す。
弱い者を絶対に守り抜く、イエスにもその決意はみなぎっている。
【王者の紫】
死刑を宣告された時、イエスは貧しい服装をしていた。
刑場に連行するため集まった兵士たちはその服を脱がせ、紫の衣を着せた。
紫とは王を示す色だ。
ジュリアス・シーザーは紫のマントを着ていた。
クレオパトラが乗っていた旗艦の帆も紫だったという。
ローマ帝国では、巻き貝で染めた紫色は「王者の紫」と呼ばれ、権力者にもてはやされた。
そんな高価な衣を兵士たちが持っていたとは考えられない。
恐らく、イエスを徹底的に侮辱し、貶むため、
ユダヤ教の指導者たちがこっそり兵士たちに手渡したのだろう。
【侮辱される】
王を表す紫の衣を着せられたイエスは、
兵士たちに罵倒され
唾を吐きかけられ、
硬い葦の棒で小突かれ、
「ユダヤ人の王ばんざい!」と跪かれた。
もしイエスが神の子ならば、これほどの侮辱はない。
圧倒的な高みにいる存在が、圧倒的な低さをうごめくしかない存在によって、徹底的に踏みつけにされるのだから。
【暴力の連鎖】
最近また、DVや虐待に晒されてきた方たちと話す機会が、増えた。
大変な苦しみの中を生き抜いてこられたことに胸を打たれる。
よくぞあの時死なずにいてくれた、生きていてくれてありがとう、と感謝せずにはおれない。
加害者のしたことを許すことはできないけれど、加害者も被害者同様、救いの手が必要だ。
特に加害者である親が救われ回復することは、「大好きな親」から虐待を受けた子どもたちにとって、なくてはならないことなのだ。
自分に出来る支援のあり方を思案している。
その一方で、暴力に晒され続けた人が、
自分が優位に立った途端、加害者に転じる、というケースが多いのも事実。
暴力は暴力を生み、抑圧は抑圧を生むのだ。
イエスを侮辱した兵士たちもその1人だろう。
権力者によって徹底的に支配され、思うように生きることが許されない。
悔しい思い、恥ずかしい思い、腹立たしい思い、がずっと続く毎日。
そんな彼らが、イエスという「自分たちの思いを晴らす生け贄」を手に入れたのだ。
普段やられている暴力・侮辱をイエスに注ぐことで、兵士たちの気持ちは少しは楽になっただろうか。
【自分で終わらせる】
強い者が弱い者をいたぶり、弄び、支配し続ける。
弱い者はさらに弱い者を見つけ、自分がやられたように、その弱い者をいたぶる。
このような連鎖はどうやったら止められるのか。
強い者は弱い者を守らなければならない、というルールをどうやったら取り戻すことができるのか。
フクイチの事故収束作業にあたる作業員の友人がいる。
彼は、東電や政府や官僚たちへの不満をいう一方で、
「自分たちで終わらせる」という。
この苦しみの連鎖は自分たちの手で終わらせたい、というのだ。
強いものにいたぶられたように、弱い者相手に君臨したい、というのではなく、
やられたことは全部飲み込んで、赦してやる。
その上で、弱い者を絶対に守り抜く、という決意がみなぎっている。
兵士達から強烈な侮辱を受けながらイエスはされるがままになっていた。
そしてこのあとイエスは十字架にかかって死ぬ。
敵を救うために、敵の身代わりとなって死ぬ。
こんなことは自分で終わらせる。
やられたことは全部飲み込んで赦す。
弱い者を絶対に守り抜く、イエスにもその決意はみなぎっている。