マルコ14:12~21
【過越(すぎこし)】
日本では節分の日に、鬼(災厄)が入り込まないようにと鰯の目にヒイラギの葉を刺し、玄関の鴨居に打ち付けておく。
ユダヤ教にもよく似た風習がある。「過越(すぎこし)」だ。
その昔、春分直後の新月の夜、イスラエルの神ヤハウェはエジプトの家々を訪れ、人であろうが家畜であろうが男(雄)の長子を殺して回ったという。
ヤハウェはエジプトという国の未来の希望を根絶やしにしたのだ。
(出エジプト記12:1~11)
その恐怖の夜、ヤハウェは間違えてイスラエル人の家に押し入ってしまわぬように、イスラエルの家々に目印を付けるように命じた。
神さまなんだからそれくらい見分けろよ、てツッコミたくなるが、どうもヤハウェには家の中を透視する能力はなかったようだ(笑)。
その目印がまたシュールだ。
1歳未満の仔羊か仔山羊の首を切り、流れ出る血を溜め、その血で入り口の鴨居と両側の柱に印を描いた。
ヤハウェはその印を見てその家をイスラエル人の家だと認識し、通り過ぎ(過ぎ越し)たのだ。
それ以来イスラエルでは出エジプトの前夜に起きた「選び」と「救い」の出来事を記念し、現在でも毎年「過越祭」として仔羊を屠り、酵母のないパンを食べている。
【過越の仔羊】
福音書がイエスの死の前夜と過越の食事を重ね合わせたのは、イエスこそが過越の夜に屠殺される仔羊だと告げたかったからだ。
イエスは自らを犠牲として差し出しヤハウェの怒りを過ぎ越させてくれた。
そう初期のユダヤ人キリスト教徒たちは直観し、理解した。
イエスが血を流して下さったからこそ、自分たちは神の怒りに触れずに済んだ、と悟ったのだ。
【使命】
この物語には使命を全うする人が二人出てくる。
一人はイエスであり、もう一人はユダだ。
ユダはイエスに「生まれてこない方がよかった」と憐れまれ詫びられるくらい、(他の伝承ではイエスの死後悲嘆して自殺するくらい)つらい使命を全うした。彼は、愛して止まない師であるイエスを奴隷一人の値段で権力側に売り飛ばした。
イエスが使命を全うするために、ユダはこのような辛い使命を果たす必要があったのだ。
それならば、私たちはどんな使命を帯びてこの世に生まれてきたのだろう。
孤独な人に寄り添うために、向かい合うために、一緒に生きるために、私たちはどんな使命を果たすことになるのだろう。
【過越(すぎこし)】
日本では節分の日に、鬼(災厄)が入り込まないようにと鰯の目にヒイラギの葉を刺し、玄関の鴨居に打ち付けておく。
ユダヤ教にもよく似た風習がある。「過越(すぎこし)」だ。
その昔、春分直後の新月の夜、イスラエルの神ヤハウェはエジプトの家々を訪れ、人であろうが家畜であろうが男(雄)の長子を殺して回ったという。
ヤハウェはエジプトという国の未来の希望を根絶やしにしたのだ。
(出エジプト記12:1~11)
その恐怖の夜、ヤハウェは間違えてイスラエル人の家に押し入ってしまわぬように、イスラエルの家々に目印を付けるように命じた。
神さまなんだからそれくらい見分けろよ、てツッコミたくなるが、どうもヤハウェには家の中を透視する能力はなかったようだ(笑)。
その目印がまたシュールだ。
1歳未満の仔羊か仔山羊の首を切り、流れ出る血を溜め、その血で入り口の鴨居と両側の柱に印を描いた。
ヤハウェはその印を見てその家をイスラエル人の家だと認識し、通り過ぎ(過ぎ越し)たのだ。
それ以来イスラエルでは出エジプトの前夜に起きた「選び」と「救い」の出来事を記念し、現在でも毎年「過越祭」として仔羊を屠り、酵母のないパンを食べている。
【過越の仔羊】
福音書がイエスの死の前夜と過越の食事を重ね合わせたのは、イエスこそが過越の夜に屠殺される仔羊だと告げたかったからだ。
イエスは自らを犠牲として差し出しヤハウェの怒りを過ぎ越させてくれた。
そう初期のユダヤ人キリスト教徒たちは直観し、理解した。
イエスが血を流して下さったからこそ、自分たちは神の怒りに触れずに済んだ、と悟ったのだ。
【使命】
この物語には使命を全うする人が二人出てくる。
一人はイエスであり、もう一人はユダだ。
ユダはイエスに「生まれてこない方がよかった」と憐れまれ詫びられるくらい、(他の伝承ではイエスの死後悲嘆して自殺するくらい)つらい使命を全うした。彼は、愛して止まない師であるイエスを奴隷一人の値段で権力側に売り飛ばした。
イエスが使命を全うするために、ユダはこのような辛い使命を果たす必要があったのだ。
それならば、私たちはどんな使命を帯びてこの世に生まれてきたのだろう。
孤独な人に寄り添うために、向かい合うために、一緒に生きるために、私たちはどんな使命を果たすことになるのだろう。