マルコ9:42~49
イエスは私たちの存在を「塩」に例える。
イエスの指す塩は
精製塩や釜で煮沸させて作った塩ではなく、死海の塩だ。
海水を天日で蒸発させて作った海塩をさらに濃縮させたような、
マグネシウムやカリウムを大量に含んだ塩は
ただ単に食材の旨味を引き出すだけではなく、
食べた人の体調を整え元気にする。
私たちが塩なのだとしたら、
私たちには周りの人の旨味を引き出し、その人を元気にする力がある!
こんなロクデナシが人を元気にできる?!
しかし、塩は自分自身を味付けできないし、
自分自身を元気にもしない。
つまり私たちは塩でありながら、周りの人から塩を送ってもらわなければ
自分の旨味を引き出してもらえないし、元気にもしてもらえない。
自分の旨味や元気は他者によって初めて顕わになり、他者と共有できる状態になるのだ。
イエスが「自分の中に塩を持ち、互いに平和でいるように」というのは
互いに旨味を引き出し合おうという意味なのだろう。
こんな私でも人の役に立てる。
そう確信できる人の群が形成され、大きくなることは
決して夢ではない。
イエスは私たちの存在を「塩」に例える。
イエスの指す塩は
精製塩や釜で煮沸させて作った塩ではなく、死海の塩だ。
海水を天日で蒸発させて作った海塩をさらに濃縮させたような、
マグネシウムやカリウムを大量に含んだ塩は
ただ単に食材の旨味を引き出すだけではなく、
食べた人の体調を整え元気にする。
私たちが塩なのだとしたら、
私たちには周りの人の旨味を引き出し、その人を元気にする力がある!
こんなロクデナシが人を元気にできる?!
しかし、塩は自分自身を味付けできないし、
自分自身を元気にもしない。
つまり私たちは塩でありながら、周りの人から塩を送ってもらわなければ
自分の旨味を引き出してもらえないし、元気にもしてもらえない。
自分の旨味や元気は他者によって初めて顕わになり、他者と共有できる状態になるのだ。
イエスが「自分の中に塩を持ち、互いに平和でいるように」というのは
互いに旨味を引き出し合おうという意味なのだろう。
こんな私でも人の役に立てる。
そう確信できる人の群が形成され、大きくなることは
決して夢ではない。