マルコ9:38~41
私はイエスに会ったことがない。
ましてや
直接イエスから声をかけられ弟子になり
背中を押されてイエスの手伝いをしている訳でもない。
だから
私はいつも不安を抱えている。
「イエスならどうするだろうか?」と
自問し、考えてはいるけれど、
自分が選んだ道が本当に正しいのか判断がつかない。
そんな私たちに
イエスはいう
「敵対しないのなら味方だ」と。
自分の満足のために
弱っている人に寄り添ってるだけかもしれない私でも、
イエスは「こっちサイドの人間だ」といって下さる。
しかしそれは
私がしでかす不始末を全部背負う覚悟の表明でもある。
被災し苦しむ方々に一体何が出来たのか。
フクシマの子どもたちを一人でも引き取ったのか?
身近に苦しむ人や
弱っている家族さえ満足に支えられない。
いや、自分の感情や体調すら思うに任せられない。
そんな拙い私を
背負うために
イエスは
地上にこられた。
ならばもう迷うことはない。
イエスの名前を借りて、
思いのまま
思う存分
人助けに邁進すればいい!
私はイエスに会ったことがない。
ましてや
直接イエスから声をかけられ弟子になり
背中を押されてイエスの手伝いをしている訳でもない。
だから
私はいつも不安を抱えている。
「イエスならどうするだろうか?」と
自問し、考えてはいるけれど、
自分が選んだ道が本当に正しいのか判断がつかない。
そんな私たちに
イエスはいう
「敵対しないのなら味方だ」と。
自分の満足のために
弱っている人に寄り添ってるだけかもしれない私でも、
イエスは「こっちサイドの人間だ」といって下さる。
しかしそれは
私がしでかす不始末を全部背負う覚悟の表明でもある。
被災し苦しむ方々に一体何が出来たのか。
フクシマの子どもたちを一人でも引き取ったのか?
身近に苦しむ人や
弱っている家族さえ満足に支えられない。
いや、自分の感情や体調すら思うに任せられない。
そんな拙い私を
背負うために
イエスは
地上にこられた。
ならばもう迷うことはない。
イエスの名前を借りて、
思いのまま
思う存分
人助けに邁進すればいい!