マルコ9:33~37
師であるイエスが
もうすぐ捕らえられ
処刑されるというのに、
弟子たちの最大の関心事は
「誰が一番偉いか」
「誰が真っ先に天国に行くか」
「誰が天国でイエスの右に座るか」
といった
威張り合うことだった。
イエスは
世の中で価値がないと思われている人に寄り添い、
役に立たないと思われている人と向き合い、
決して見捨てなかった。
最も小さい人に奴隷の立場で仕えた「神の子」だった。
その人のすぐ傍にいながら
弟子たちは
ほんとにおバカ…。
でも
私も彼らと同類だ。
私は
天国に行きたいから
人に喜ばれようとしているのかもしれない。
自分が威張るために
苦しむ人、寂しい人、上手く世渡りできない人を
利用しているだけかもしれない。
気が付いたら
いつの間にか
その人に寄り添っていた。
そんなさりげない
生き方をしてみたい。
そのためには
きっと
キリスト教も
教会も
イエスも
一旦忘れてしまった方がいいのだ。
不要だと思って捨てたものが
人を生かすことだってあるのだから。
いつかきっとイエスと再会することを信じて
イエスを捨てる。
そんな勇気がほしい。
師であるイエスが
もうすぐ捕らえられ
処刑されるというのに、
弟子たちの最大の関心事は
「誰が一番偉いか」
「誰が真っ先に天国に行くか」
「誰が天国でイエスの右に座るか」
といった
威張り合うことだった。
イエスは
世の中で価値がないと思われている人に寄り添い、
役に立たないと思われている人と向き合い、
決して見捨てなかった。
最も小さい人に奴隷の立場で仕えた「神の子」だった。
その人のすぐ傍にいながら
弟子たちは
ほんとにおバカ…。
でも
私も彼らと同類だ。
私は
天国に行きたいから
人に喜ばれようとしているのかもしれない。
自分が威張るために
苦しむ人、寂しい人、上手く世渡りできない人を
利用しているだけかもしれない。
気が付いたら
いつの間にか
その人に寄り添っていた。
そんなさりげない
生き方をしてみたい。
そのためには
きっと
キリスト教も
教会も
イエスも
一旦忘れてしまった方がいいのだ。
不要だと思って捨てたものが
人を生かすことだってあるのだから。
いつかきっとイエスと再会することを信じて
イエスを捨てる。
そんな勇気がほしい。