「不登校」や「ひきこもり」と呼ばれる 子どもたちと付き合うようなって30年になる。
ちゃんと向き合い
ちゃんと寄り添い
ちゃんと格闘できたか、と
いつも自問するが、そのたびに無力さに打ちひしがれる。
「ちゃんと」の中には「焦らずその時を待つ」ということが含まれる。
これがカウンセラーにとっても、家族にとっても、
本人にとっても
実はとても難しい。
家族、特に母親は「一日も早く学校に戻る」ことを切望するが、
焦りは禁物、というか
焦っても意味がない。
本人が自分を見つけ出し、溶け出すように部屋から足を踏み出すまで、
向き合い、寄り添い、闘い、ひたすら待つ。
長い闘いになることを覚悟し、
ただただ「その時」が来るのを待ち続けるのだ。
過去には
功を焦り
無理をして
大切な命を損なったこともある。
生きてさえいてくれるなら、一生ひきこもりでもいいのに。
命が喪われて
私はようやく
待つ勇気をもらった。
それでも時々
「自分が立ち直らせる」
「自分でなければ助けられない」
などという不遜な思いが湧き出てくる。
ちゃんと向き合い
ちゃんと寄り添い
ちゃんと格闘できたか、と
いつも自問するが、そのたびに無力さに打ちひしがれる。
「ちゃんと」の中には「焦らずその時を待つ」ということが含まれる。
これがカウンセラーにとっても、家族にとっても、
本人にとっても
実はとても難しい。
家族、特に母親は「一日も早く学校に戻る」ことを切望するが、
焦りは禁物、というか
焦っても意味がない。
本人が自分を見つけ出し、溶け出すように部屋から足を踏み出すまで、
向き合い、寄り添い、闘い、ひたすら待つ。
長い闘いになることを覚悟し、
ただただ「その時」が来るのを待ち続けるのだ。
過去には
功を焦り
無理をして
大切な命を損なったこともある。
生きてさえいてくれるなら、一生ひきこもりでもいいのに。
命が喪われて
私はようやく
待つ勇気をもらった。
それでも時々
「自分が立ち直らせる」
「自分でなければ助けられない」
などという不遜な思いが湧き出てくる。