新約聖書 マルコによる福音書1:16~20

『出会うことから始めよう』

 

 

1. コロナによる孤立・分断・貧困
 

日本ではコロナによる休校や自粛によって、海外では都市封鎖によって孤立が広がっています。

また、不安や恐怖によって人々の間では「自粛警察」「正義中毒」と呼ばれる魔女狩りが横行し、同じ被災者同士で分断が起きています。

さらに日本では、中小企業や個人事業主の経営危機と失業が凄まじい勢いで広がっています。これは「自粛は要請するのに、補償を行わない政府」がもたらした人災ともいえますが、これによって、貧困が深刻な問題となりつつあります。

 

 

2. 孤独がもたらす病


コロナによる孤立・分断・貧困は私たちに深刻な孤独をもたらします。

依存症は孤立の病といわれますが、引きこもりや、鬱、虐待、DV、そして自殺も、孤独が原因となって起きる現象です。

これらの当事者を指して「怠け者だ」とか「弱いからだ」と揶揄する人がいますが、決してそんなことはありません。

これらの病気は誰がいつ罹ってもおかしくない「風邪」のようなものなのです。

孤立と分断と貧困によって孤独が蔓延するなかで、依存症や、引き籠りや、自殺や鬱は、決して他人事ではありません。

私たちは斉しくこれらの病気になる可能性があるのです。

パチンコ屋さんの前に列を作るお客さんを依存症だといい犯罪者のように扱う人たちは、自分がいつ同じ列に並んでもおかしくない状況に置かれていることに気付いていないのです。

 

 

3. まっすぐ見る

 

孤立と分断と貧困、そして孤独、これらによって病んでいく私たち。

その死の淵から私たちが生還するためのヒントは、イエスの眼差しに隠されています。

 

16節の「御覧になった」という言葉は「まっすぐ見る」という言葉です。

漁師だったペテロたちは外の世界の人から卑しまれ目を背けられることはあってもまっすぐ見てもらえることなどありませんでした。

社会的に孤立し、同じユダヤ人なのに職業によって分断され、貧困にあえいでいました。

そのなかでペテロたちは一人一人が孤独の闇のなかで死に瀕していたのです。

そのペテロたちをイエスはまっすぐ見た。

イエスの眼差しがペテロたちを捕らえたことで、それは決定的な出会いとなり、そこから彼らの「つながり続けるための旅」が始まったのです。

 

私は、コロナウイルスは傲慢な人類に対して神さまが送ってくださったギフトだと思っています。

私たちはコロナによって、人類が実はすでに孤立し、分断され、貧富の差にあえぎ、孤独という死の病のなかに取り込まれていることを教えてもらったのです。

 

これから先、コロナと共生する社会を生き延びるとき、必要なのは「つながり続ける」ことです。

そのことをイエスは既に、2,000年前のユダヤの湖の畔で示してくれていたのです。

 

では「つながり続ける」ために必要なことは何でしょうか。

それは「出会うこと」です。

では、「出会う」ために、私たちはどうしたらいいでしょうか。

それは、イエスがペテロたちにしたように

「その人をまっすぐ見ればいい」のです。

目を逸らさず、見た目に惑わされず、

その人の喜びも、悲しみも、不安も、怒りも、希望も、絶望も

すべてありのままに見つめるのです。

 

つながり続けるために、出会うために、目の前にいるその人を「まっすぐ見る」

そういう人になりたいと祈らずにはおれません。