今日は仏教における「飾る」ということについてのお話です。
「荘厳」という字は何と読むかわかりますか?
「そうごん」と答える方がほとんどでしょう。
もちろんそれも正解ですが、仏教用語での「荘厳」は「しょうごん」と読みます。
これは直接的には仏像・仏堂・仏具などを美しく飾るという意味の専門用語ですが、単にそれだけなら装飾とでもいえば良さそうなものを、なぜ「荘厳」というもったいぶった表現を用いるのでしょうか。
実はこの言葉にはもっと奥深い、特殊な意味が含まれているのです。
仏教の「荘厳」は、色彩や形のように目に見える飾りつけを指しているだけではなく、目には見えないが心で感じとる美しさもやはり「荘厳」と解釈するのです。
そしてここからが本題ですが、本来、「荘厳」とは、人間が信心のためにたくさんお金をかけて仏像や仏堂や位牌を飾り立てるようなことではないのです。
え!?違うの!?
実は荘厳とは仏さまが、人間のためにしてくださることなのです。
そして仏さまが荘厳なさった世の中に住む人は皆、仏さまの心を持ち、仏弟子となって荘厳のお手伝いをする。そのことによって仏弟子たちは大きな報いを受け、さらに自らの心を、体を、社会を荘厳しようと試みる。
このように、荘厳とは外面の美しさだけでなく、内面も輝いている有様を言います。むしろ内面の輝きがあって、それを外面に現す、という感じですね。
仏教の荘厳は、まず人間の魂そのものを荘厳するところから始まるのです。
自らの心が荘厳されている人が、そのことをかたちあるものにする、それが肝心なのです。
どんなに美しい装飾でも、それにあてたお金が汚い手段で得たお金ならば、本物の荘厳とはいえませんし、純金なら本物の荘厳でメッキはにせの荘厳だ、などということでもないのですね。
荘厳のための錺金具を作る私たちも、もう一度初心に帰って、心をこめて錺金具を作っていかなければと思います。
※今日のお話は、「仏事・仏具ハンドブック」という本を参考にしています。
