続き。
世界観が違いすぎる、異星人同士母娘。
小学校の頃には、「母相手の会話ネタは絞る」技が身についてた気がする。
聞いて欲しかったことがあったんじゃないのか問題
言いたいこと、気持ちを抑圧していたと言うことには、変わらないんじゃないか?
って疑惑は、当然残りますね。
大原信子さんに、「どんな子供だったか」話を色々聞いてもらって、その後、妹とも会話したり、母となるべくコミュニケーションとって確認してみたりして……1つ、「これか!?」と思ったこと。
やっぱり抑圧でした!ブロックありました!と言うよりですね。
妹や、他の人が言う「母」と、わたしの「母」はどうも違うようだ?
新生児期のごくわずかな期間をのぞいて、わたしを実質育てたのは「祖母」なんですね。
母は、確かに、母親で、遺伝子上も戸籍上も、まごうことなく母で、長女であるわたしを愛してくれてて、大事に育ててくれたんだけど、育児書とか、母娘問題の書籍なんかでいう「母」と違うんですよ。
うまく言えないんだけど、いわゆる「母」って、子供にとって、
この人がいないと、生きていかれない
っていう根源的、本能的な、庇護者・守護者ーー絶対神的な存在なんじゃないか?
ネグレクトとか虐待にあってても、子供は母親をかばうって話を聞いたことがあるんですね。
大好きだから、というのももちろんだし、引き離されたら生きていかれない、って無意識・本能的に察知している、というのもあると思うんです。
食事を用意してくれて、食べさせてくれる
トレイがろくにできない齢に、清潔にしてくれる
熱を出した時、看病をしてくれる
不安や悲しい時、泣き出すと慰めたりあやしてくれる
そういう、いわゆる「優しい手」=「母」なのではないか、と。
自分がどんな状態でも、何を言っても、無条件に受け入れて、愛してくれて、
決してその「優しい手」を離さないでいてくれる人。
それ、わたしにとっては、おばあちゃん。
事実として、おばあちゃんだったんですよ。
だから、母を恨んでいるとか全然なく、もう、客観的事実として、そう。
「わたしの母」って、週末になるとお出かけに連れて行ってくれる人。
世間の「父」と「母」の差があんまりないんです。
そもそも、「わたしの母」に、「優しい手」を求めてなかったんですね。
(もちろんそれでも、お母さんは、わたしと一緒に居られるときには、最大限その手を向けてくれていましたしね)
「話を聞いて欲しかった」問題は、学校から帰ったら待っててくれるおばあちゃんが、全部聞いてくれてました。
だから、夜帰ってくる「わたしの母」と、気が合わない・噛み合わない、お互いもやっとする話題を、わざわざ選ばないだけだった。
聞き方・見え方としたら母親にすごい失礼かもしれないけど……
学校でさ、男子にわざわざ「女子特有の遊びの話題」を聞いて欲しかった?
共感してくれない!って毎回傷つきます?
女子同士でも、漫画好きな子とは好きな漫画の話で盛り上がって楽しいけど、漫画に興味がない子と盛り上がらないのって普通じゃないですか……。
その感じなんですよ、話題を選ぶのも、話を聞いて欲しいと強く思ってなかったのも。
諦めて、「聞いてもらわなくてもいいもん」ってなったというより、そもそもおばあちゃんで満たされてるから、そんな求めてもないというか……。
「わたしの母」は、わたしにとって、絶対神というより、大事な家族だけど、いわゆる「母」じゃなかったのかもしれない。
だから、母親も、わたしは確かに自分の娘なのに、「娘」じゃないというか……どうしたらいいか、わからない異星人状態なのかな?
ちなみに、おばあちゃんが現代の「親の対応」でいう理想的な対応をしていたか、というと……美化された思い出ではそうなんだけど、日記や絵日記、作文を振り返ったらね、意外と聞いてるフリだった可能性
家のことをしながら、わたしがお手伝いという名目でつきまとっているだけ、の中、わたしが一方的にベラベラ喋って、「そうなの」「へー」「面白かったね」「すごいね」と相槌してくれていただけかも
でもわたし、喋るだけ喋って、大満足。みたいな。
幼稚園の先生、小学校低学年の頃の担任の先生にも、基本、なんでも思ったことを言う。
職員室・校長室・保健室にも平気で遊びに行く。物怖じを子宮に忘れてきた、口から先に生まれた系。
そこはぜんぜん、話してなかったんだけど、そう言う目で振り返れば、まさに大原さんの言う通り。
そもそも抑圧してない
どんだけルールだと言われても、納得しないことはしなかった
計算ドリル・漢字ドリルもやり遂げたことがない。
日常の宿題は授業中、休み時間に終わらせ、試験勉強も意味がわからないからやらない。
授業中、聞く必要がないと感じるときは、図書室や図書館で借りてきた本を読む。
置き勉禁止と何度注意されても、家で使わない重いもの=教科書は机に全教科詰め込んでおく。
修学旅行が気の合わない生活班で行動するとか、絶対嫌だから仕組みを変えた。
小中学校だけでも、あげたらキリがないくらい、超勝手してたわ。
その自覚があるから、そのせいでいじめられたり、嫌われても、「しょうがないか」だった。
(そもそも、話が合わないから、わかってもらいたいとかなかった……)
……あー、やっぱ、人に興味がなかった、に尽きるのかも。ジコチュウだったんだね。
「出る杭」にならないをモットーに、それが「当たり前」の母と、
出てようが出てまいが、「わたしはこうしたいんです!」なわたし。
結局、母もね、反対したり、文句を言ったり、批判したりしても、最後のところでいっつも「わたしはこうしたいんです!」をさせてくれてたんですよ〜。
何より、母がどれほど「そんなことだめ」と反対・非難しても、我慢してやめたとか、ショックで「ダメなんだ」と刷り込まれてしなくなったというの…………記憶に残ってないわ。(中にはあるのかもしれないけど)
全く同じことじゃなくても、「わたしはこうしたいんです」やってたわ。
だから、今のわたし、こんなんなんですね
他にも当然、何かしらは母にしこりも持っているだろうし、いわゆるブロックもあると思う。
でも「世間」にとって「母」にそうされたら、「ブロック」になっちゃうもの、に当てはまらないことも、こう言う理由であるかも???
それすら、誤認してるのかもだけど
2回目のカウセリングも伺う予定です。
母とのことだけじゃなくて、「これから」のこと、夫や職場でのことなど、徹底的に総点検して、取り組んでいきたい。
<母娘分析>
「母娘ブロック」疑惑、まさかの 〜ジコチュウな長女編〜(この記事)