さて、参拝スポットのラストです。
こちら、手前は手水舎。
奥が入り口の門です。
これまでの二社と異なり、町からすぐの場所に鎮座されてて、山の中ではありません。
御祭神は、熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神。
主祭神が、熊野速玉大神・熊野夫須美大神の夫婦神だそうです。
それぞれイザナギ・イザナミと同定されてました。
今回は行かれなかったのですが、元宮が山の上にある、ゴトビキ岩とされてます。
(今は神倉神社が岩を祀ってます)
※無料素材サイト「写真AC」からお借りしました
この岩の上に、速玉大神が降り立ったそうです。降臨伝承。
花窟神社もそうだし、飛瀧神社もそうですが、自然崇拝が色濃く残っていて、やはり元はヤマトと別の国だなぁ、と感じますね。
正式参拝のいいところは、御神職が色々説明・解説をしてくださるところ。
質問も受けてもらいました。
拝殿の中には熊野曼荼羅もあって、神仏習合の名残も強い地域です。
いかに歴代の上皇らが、崇敬厚かったかを伝える、「参詣回数一覧」
高野山から続く道の奥で、熊野地方も、辰砂が取れる鉱脈があっただろうことも想像に難くなく。
政治的人間ドラマを感じてしまう。
本宮大社以外は、朱塗りの、仏教寺院の影響が強い社殿でした。
はっきりとした年代は不詳だそうですが、御神職によれば、やはり6世紀の仏教流入以降だろうとのこと。
神事で小さな箱のような社を作り、祀ることがあるそうで、それが本来はゴトビキ岩で祀られていた形なのではないか?とも伺いました。
御神木は、「梛」の大木です。天然記念物。
葉脈が真っ直ぐ縦に走る梛は、葉が横にちぎれないことから、縁起物だったそうです。
熊野詣への山道は、まさに命がけにもなる峻厳な旅路だったそうで、そこまでして熊野にきて、当時の政権権力者たちは、何をこの地で祈ったんですかね。
梛の葉は、無事の帰りの安全お守りでもあったそうです。
今はそれを模したお守りが社務所でいただけますよ。
御朱印。
神倉神社のものも、速玉大社でいただけます。(私は実際に行ったところしか、いただかないので今回は無し!)
牛王神符はこちら。
全然、読めません
48羽のカラスで「熊野山宝印」と書いてあるそうなんですよ。
これで熊野三山、メインの神社を巡る旅は終了です。
熊野灘の美しい海を見ながらランチをして、東京へ戻る帰途へとつきました。
次回は是非とも、涼しい季節に、自由行動の完全個人旅行で和歌山巡りをしたいと思います
なぜか、夫が「熊野なら何回でも付き合う」と言っておるのです。なぜなのだ、夫。
もともと二人とも、旅先で「神社」「温泉」「地酒」を確認する共通の趣味があるとはいえ……夫は基本、一回行ったら別のところへ行きたい派。(わたしは何度も足を運んで、深く知りたい派)
本当に木と、水と、火と、金と、当然それを支える土と、と自然豊かすぎる国ですね。
川の水の透明度が、すごく印象に残ってます。
将来の移住先、和歌山県紀伊半島もいいな。とプラン候補に入れておきます
宿のことと海のことは、あとで番外編で記録しておこうかな〜。
次回はどこへ行くのか。思いつき旅行、熊野詣ツアー編以上です
<熊野詣ツアー記録>
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