「ひとり朝活」って?
テーマ「初めて夢中になった漫画はなに?」
『ガラスの仮面』美内すずえ作
→わたしは83年生まれです。
雑誌の「りぼん」と「なかよし」を
妹と一緒に毎月楽しみにしてました。
オシャレすぎでしょ、ライフスタイルから
服装から人間関係から学校から。
だからこそ、現実逃避や憧れ、
地続きの異世界ファンタジー的に
楽しめるものというのもあるけれど
『ガラスの仮面』はリアルでした。
→母親とラーメン屋に住み込みで働き、
チビでみそっかすで、お手伝いの配達ひとつ
満足にできなくて、
ラーメン屋のお嬢さんにいじめられて、
学校でも友達ひとりいないという。
主人公・マヤも、演技の才能があるという
結局は「普通」じゃない設定だけど、
日常でまったくその才能は役立たないし、
月影先生が見出してくれなかったら
高校も進学せずに
住み込みのパートをして、
「ダメだダメだ」と周囲に言われ続け
自分でも「そうだ」と思い込んで
オドオドと苦労や面倒を押し付けられて
損な生き方をしたまま、
見合いかなんかで、酒飲みの暴力亭主と
結婚して、子どもを抱えて辛い展開……とか
昭和だからこそ、ありそうですよね
→これでもかってほど
不幸てんこ盛りの主人公が
生まれて初めて認められて、
打ち込んで、結果を掴み取っていく姿。
自分の居場所を創り上げていく姿。
わたしはここに、衝撃を受けたんです。
好きで好きで、たまらないことに
魂を燃やすこと。
時に狂気的なまでに、
周囲の誰も理解してくれなくても、
「幸せ」はあるってこと。
羽生結弦選手の記事もそうですが、
わたしはたぶん、この「燃やし尽くす」
生き様に痺れる感性、志向があるみたい。
→思春期の痛い思い出や
母親とのことなど
漫画ほど劇的でも、不幸でもなく
ごくごく当たり前のものでしょうが
その当時、世界が地縁・血縁、
閉ざされた学校しかなくて
そこで「そのまま」の自分が
否定されてる(と本人が感じてる)身としては
マヤは本当に勇気をくれるヒロインだった。
自分にも、マヤのような
なにかこう、才能という面映ゆいものが
あったなら……と夢を見ずには
いられなかったわけです。
→とはいえ、マヤのような突出した才能、
身を立てられるような才能は
自分にはどこにもなさそうだと
薄々気づいていました
だけど、マヤのように、
家を飛び出してでも、
世界は広げられる。
それは才能がなくても、できる。
ここではないどこかへ飛び出す。
自分で世界は創り上げられる。
マヤが飛び込んだ劇団のメンバーたちは、
みんなで狭いアパートに同居下宿して
貧乏でも幸福そうだった。
当然、マヤのような才能まではないけれど。
→前世が月のお姫様で、
麻布十番なんてオシャレな街の
ゲームセンターに通うなんて日常で、
しゃべる猫がある日現れて、
変身して悪と闘い、
麻布高校のイケメンがタキシードを着て
助けに来てくれる…………
ことは、絶対絶対絶対無いし
おしゃれで天真爛漫で、
クラスメイトみーんなに好かれてて、
生徒会選挙に立候補して、
不良の同級生(実は良いとこのボンボン)が
雨の中仔猫を拾うところを目撃して
胸キュンする高校生活……も
自分の性格上、ちょっと軌道修正にも
ほどがある……ってかそれはもう
自分ではないだろ、と自覚がありすぎ
双子じゃないし?(笑)
うちの親は、離婚して夫婦入れ替えとか
ファンキーなことはしないし?(笑)
母親が作家でシンママで
しかも血の繋がりがないとか、
母親探しのために芸能活動するわけもなく(笑)
だけど!
自分が情熱を注げるものを探して、
見つけて、世界をそこに作ることなら……
わたしにも、できる。
そう、当時すごく勇気づけられたのです。
→「才能がある」ってことの意味も
マヤと月影先生が教えてくれたと
思うな……。
だから、ちょっとくらい得意とか、
成績で褒められても、
変な意味でもわたしは「この程度では」と
思ってた気がする
才能って、
狂気的なまでの没頭で、
他が見えなくなるくらい
ストイックにならざるを得なくなるほど
打ち込めるものと向き合うことなんだって。
→35歳に今年なりますが、
まだ、自分にとっての才能を
見つけられずにいます。
ほんの少し、仕事の仕方や
夢中になれることは片鱗を掴みつつ
……ある……かな……?と
ほんのり、感じられてきた。
まだまだ諦めません