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  宮城県女川町 東日本大震災:両親不明の子供たち 宮城・女川町、11歳と8歳の姉弟 ◇無邪気さ、奪われ ◇津波映像に口数減らし「母さんに会いたい」 「お母さんどこ。お父さんは?」。津波で沿岸部が壊滅した宮城県<wbr>女川町。小学5年の平塚亜美さん(11)と2年の司君(8)姉弟<wbr>は、いなくなった両親の帰りを待ちわびる。祖父の平塚俊明さん(<wbr>64)には、あの濁流の中で両親が助かる見込みはないと分かって<wbr>いる。だから幼い孫を見るたび胸を締め付けられる。「この子たち<wbr>の将来はどうなるのか」と。戦後最悪の自然災害となった東日本大<wbr>震災の被災地で、多くの「震災孤児」が生まれようとしている。【<wbr>小泉大士、小林洋子、奥山智己】 姉弟の両親、俊也さん(36)と恵理さん(35)は地震の際、女<wbr>川湾の観光物産センターで店番をしていた。俊明さんらを含め家族<wbr>で経営する鮮魚店だ。 「10分後に津波が来ます」という防災無線の声が今も耳を離れな<wbr>い。みんなで約300メートル離れた俊明さん宅まで逃げたが、2<wbr>方向から来た水に家ごと流された。「おもちゃのように家が浮き上<wbr>がり、バリバリと音を立てて消えていった」。俊明さんが見たむご<wbr>い光景だ。中に俊也さんと恵理さんがいた。 高台の小学校にいた孫の亜美さんと司君は無事だった。避難所の町<wbr>体育館に迎えに行った俊明さんは、2人に言って聞かせた。「お父<wbr>さんとお母さんは、そのうち迎えに来るからな」。亜美さんは両親<wbr>の身に起きたことに感づいたのか、夜、シクシクと泣いた。 その後、姉弟は東松島市にある恵理さんの父親(58)に預けられ<wbr>た。無邪気だった司君も最近、「お母さん、早く来ればいいのに」<wbr>とぐずるようになった。津波の映像がテレビに映ると、2人の口数<wbr>が急に減る。 俊明さんから見た俊也さん、恵理さん夫婦はとても子煩悩だった。<wbr>「鮮魚店が忙しくて、なかなか子どもの相手はできなかったけれど<wbr>、学校の休みには、よく家族旅行に出かけていた」親がいなくても、孫には元気に育ってほしいと思う。だが自分も避<wbr>難所暮らしで、まだ先のことを考える余裕がない。震災による緊急事態につき、youtube より転載させていただきます。

上記転載について問題がある場合、削除いたしますのでご連絡ください。


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被災者受け入れ住宅は、福島の原発事故の影響もあって、受け入れ先の住宅が圧倒的に不足している。

にもかかわらず、都内の建物、企業がかかえてるであろうアパートマンション。行政がおさえている物件などは、人かげが見えないところすらある。

福島の原発事故については、優先的に電力会社の空き寮を開放すればいいとおもうのは素人考えなのだろうが、積極的に避難民にアピールすることは得策なのではないだろうか。

事故はおきた。

今被爆の問題とそして保証の問題対策に必死なのわかる・・・

でも、まず生きる場を提供しようとする姿勢がなければ、

その後の話し合いはないのではないかとおもう・・・むしろそれをねらっているのか?




お金が・・・責任が・・・

そんなことはあとで十分やったらいい。

時間をかけてはなしあえばいい。



でも、今まもらなければならない命そして生活の基礎をまずは住宅という形で早急に手配していただくことはできないのでしょうか?




避難所は限界にきています。




どおか、東電の方、行政の方よろしくおねがいします。
避難所での生活が長くなるにつれて高齢者の医療について問題が起きています。

津波によってカルテが流され、担当医とも連絡が取れず、薬はもうなくなってしまい、

持病を悪化させてしまう・・・

どうか、臨機応変の対応で高齢者の方々の健康がこれ以上悪化しないようにおねがいできますでしょうか。

行政のかたがた、お願いします。

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