うたかた。

100万回のキス。

きのう、TUTAYAでGLAYの100万回のキスをかりた。そのはじまり、

昔から人は言葉に頼らずに 想いや恋心 伝えてきたんだ


現代に生きる 僕達の悩みとは 情報が多すぎて とまどうばかりで

に、目がとまった。


 この詞をかいたのはGLAYのギタリスト、TAKURO。おととい、ミュージックステーションに出演したかれは、最近の不幸な出来事、青少年のいじめ、自殺などの問題を意識し、その問題を解決したいというおもいから今回の新曲ができた、とかたった。

詩人とは、まさに「志人」、志のひとである。


すぐじゃなくてイイ 急がなくてイイ
言葉じゃない優しさが ホラ 胸を しめつける


 性の氾濫、などあらゆる情報がマスコミ、インターネットという媒体からおびたしくあふれる現代社会。ダイレクトにとどけられる情報に多くのひとは、無防備にさらされる。そして、にんげんの思考は変化を来す。その結果がひきこもり、ニート、2ちゃんねる、ネット右翼の出現である。かれらはネットにおいて下品な言葉で罵る傾向がある。
 TAKUROはそういう現代の風潮を憂い、「言葉じゃない優しさ」をまよえる現代人に提示した。
 「言葉じゃない優しさ」とはなんだろうか。
 それは、見返りを求めない愛、無条件でひとを愛すること、だとじぶんはおもう。大概、大部分のひとは、ひとが喜ぶことをするとき、じぶんによい利益がかえってくるこを期待している、意識的か無意識かにせよ、そのための行動である。それが悪いとはいわない。しかし、そのような「あい」のかたちが、真にひとのこころを優しさに導くことができるのか。いや、導くことはできない。そのような「あい」のかたちは、相手がほんとうに困っていても、じぶんに傷みをともなうものなれば、背をむけて、はなれていくだろう。
 「言葉じゃない優しさ」、見返りを求めない愛とは、みずからの傷みもおそれず、困っているひとあれば、すぐにかけつけ、たすけ、それでいてなんらじぶんは、いいことなどしていないとおもうことである。
 その愛が必要なんだ、とTAKUROはわれわれにうったえている。


 このKISSは愛を伝えるだけじゃなく
 あなたの切なさ あなたの淋しさ 全てが 口唇を伝ってくるよ
 決して 楽じゃない暮らしの終わりに
 彩りのような やさしい KISSをしよう
 やさしいKISSをしよう


 「このKISSは愛を伝えるだけじゃなく」、一方的にじぶんの愛を伝えるのではなく、「あなたの切なさ あなたの淋しさ 全て」を、じぶんがうけとめて、その傷をいやそう。ぼくたちがおもっているような、理想どおりにならない「決して 楽じゃない暮らし」のその「終わり」には、じぶんの一生をうつしくする「彩りのような やさしい KISS」をしよう。
 詩人であり、「志人」でもあるTAKURO。幼少のとき、この世のあらゆることに「永遠」はないと悟ってもなお、おさえがたい、人を愛するおもいがゆえに、かれは「生きてくことは愛すること 愛されること」をさけぶ。その「革命家」のせなかに、だれしもあこがれる、燃え盛る太陽をかんじるのは、じぶんだけだろうか。