大好きだった大正生まれの祖母。日本人として大切な心はすべて祖母から教わりました。

何不自由ない暮らしを送っていたなか、戦争により家も愛する家族も失い、幼い母と生後間もない叔母を抱え、激動の時代を女手一つで育てあげました。いつも笑顔で、その苦労を一度も見せたことはありませんでしたが、90歳を超えたあたりから急に耳が遠くなり、物忘れもひどくなって行きました。これまで当たり前にできていたことが少しずつできなくなっていく…自分自身もなぜだかわからない状況に苛立ち、部屋で一人になると悔しさを滲ませ泣いていました。最期は家でという希望を持っていましたが、自分で食事を摂ることもできなくなり、たくさんの管を通され、病院で亡くなりました。

愛する人が常に笑っていられるように平均寿命と健康寿命の差を縮めたい、愛する人がたとえ認知症になってもこれまでと変わりなく共に歩み続けたい、愛する人の最期は思い出がたくさん詰まった一番安心できる場所で迎えさせてあげたい…身近な人の死を通し、私自身が感じたこと。

改めて、皆様のお陰でこちらの施策にもしっかり取り組めることに感謝‼︎

昨晩は、医療法人社団悠翔会主催の在宅医療カレッジ01 『認知症を学ぶ』勉強会に参加して参りました。

2025年からの社会を考える(10年後、団塊の世代がすべて75歳以上の後期高齢者に)地域包括ケア研究。認知症は誰もがなる可能性を秘めています。講師を務めて下さった木之下 徹先生が発起人をされているお福の会宣言文は非常に心打たれました。

【お福の会宣言】

人は人として生まれ人として死ぬ
そしてその過程で誰もが
認知症という病に遭遇する可能性をもっている

かつて認知症になると
「人格が崩壊する」「こころが失われる」と恐れられた時代があった

だが、今や私たちは知っている
認知症になっても自分は自分であり続けることを

月が欠けているように見えても
月が丸いことに変わりはないのと同じである

自分が、認知症になっても
家族の一員、社会の一員として、友人として
権利と義務とを有する国民の一人として生活を続け
人生を全うしたい

同じように
家族や友人が認知症になっても
ともに人生の旅路を歩き続けたい

「お福の会」は
そういう思いをもつ市民が
本人や家族
医療、介護、行政、その他の立場を超えて集う場である

認知症になっても
生活の主体者として人生を全うできるように
私たちは力を尽くしたい

2008年10月14日採択
お福の会呼びかけ人
小阪憲司(日本老年精神医学会前理事長)
髙見国生(認知症の人と家族の会代表理事)
町永俊雄(NHK「福祉ネットワーク」キャスター)
和田行男(東京都地域密着型サービス事業者連絡協議会代表)
木之下徹(BPSDチームケア研究会代表)

長文にお付き合いいただき有難うございました‼︎自身の知識も深め、多くの方々のお声にも耳を傾け、医療と介護の連携体制構築に向けどう役立てるかを考え更に邁進して参ります‼︎