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〜夫婦別姓とは〜

 

(選択的)夫婦別姓制度とは、妻と夫が結婚しても今まで通り旧姓で過ごせる制度だ。ひとくちに夫と言っても、大半の夫婦は妻が名前を変える(嫁入り)パターンがほとんどで、これこそ今の制度が差別的と言われる所以でもある。なぜ妻だけ名前を変えなければいけないのか。日本は男性にはやたらと寛容で女性には厳しい国というイメージが浸透している。実際に政治の議員候補者の女性の比率は他の国と比べて圧倒的に低い。労働でも女性は役立たずと思われがちだ。なぜこういった差別的な思考がいまだに日本に根付いているのか。俺は怒り心頭に発している。

 

〜夫婦別姓を認めない政府〜

 

21年6月、夫婦別姓制度の確立を求めて訴訟を起こした人たちがいるが、なんと最高裁で「夫婦別姓は認めない」旨の判決が合憲とされてしまったのだ。夫婦別姓制度をなぜ日本政府は素直に認めることができないのか。そんなに日本古来の伝統や文化、しきたりが大事なのか。懐古厨というのはつくづく愚かだ。そりゃ強制的に縛るような法律ならまだしも、今回の夫婦別姓制度は選択制なのだ。それの何が不服だ。あまりに女性を蔑視しすぎている。gender gap指数がOECD加盟国の中で最下位なのも、今回のイカれた判決を見たら誰もが納得できる事実だろう。

 

〜そもそも夫婦別姓制度の何が問題なのか〜

 

今まで夫婦別姓制度の確立を求めて訴訟を起こした人は何人もいるが、いずれも上告の請求は棄却。未だに夫婦別姓制度を適用していない国は日本だけだ。他の欧米諸国は全部適用している。そもそも夫婦別姓制度の何が問題なのか。今の状態だと、新しい姓名を名乗るのに、住民票や戸籍、パスポート、運転免許証、保険証など、各種煩雑な手続きを経て登録する必要があり、非常に手間がかかる。ところが夫婦別姓制度を適用すれば、旧姓のままいられるので、雑多な手続きは必要ないし、手間が大きく省ける。

 

〜夫婦別姓制度のメリットはこれだけではない〜

 

もちろん前述した通り、そういった複雑な手続きを省略することができる点も大きなメリットだが、他にも本を自分で出版している人にとっては、著者の一貫性を保てるというメリットもある。例えば、今まで旧姓のまま本を出版していたのに、新しい姓名になってから、「あれこれ誰の本だ?」という事態に陥りかねない。せっかく旧姓では名の知れた著者だったのに、新しい姓名になると誰の本かわからなくなる。そうなれば不買にも繋がってしまう。そうした事態を避けるために夫婦別姓を認めるのは極めて合理的と言えまいか。他にも、旧姓に愛着のある人なら変えたくないし、新しい姓名にすると結婚したことや、出産、離婚など諸事情がバレてしまうので、個人情報漏洩防止にもつながる。これを否定する理由がどこにあるのか。

 

〜戸籍法の歴史〜

 

ここで戸籍法の歴史を遡る。戸籍というのは家族構成などを台帳に記録していくための帳簿だが、実は昔(飛鳥時代)から戸籍は存在していたのだ。だが、現代の戸籍とは違う、別の意味で使われていた。では、詳しく述べる。まず日本最初の戸籍(庚午年籍)が誕生したのは、飛鳥時代645年だ。大化の改新が起こって、政治システムが大きく変化し、戸籍が制度化されるようになった。だが、戸籍を制度化した理由は、”人民支配”による意味合いが強く、徴兵のために人民を駆り出す際などに使われた。

 

〜庚寅年籍(こういんねんじゃく)の誕生〜

 

そして次の戸籍は690年の庚寅年籍だ。天皇を中心とする律令国家を目指す動きが盛んになり、豪族は次第に消滅していった時代。班田収授法という法律のもと、人民の農地を管理するために戸籍を使ったとされている。このころも”人民支配”という意味合いが強く、租税・農地の管理等、諸々人民を支配する時代だった。ところがこういった戸籍は過渡的なものに過ぎず、平安時代以降はしばらく使われなくなった。なぜか。それは租税から逃れるために戸籍を粉飾・偽装したり、カネを払えず浮浪人で溢れかえる結果となったからだ。ではその後、本格的に今の戸籍と類似した制度が誕生したのはいつ頃なのか。詳しく見ていきたい。

 

〜安土桃山・江戸時代の戸籍とは〜

 

次に戸籍制度が誕生したのは豊臣秀吉が天下を握る安土桃山時代だ。秀吉は”太閤検地”という人民の農地を管理する法律を作った。簡単に言えば、収穫した量や土地の広さ、農民は誰かなどを調べる法律だ。この”太閤検地”というのが、今でいう戸籍制度に近い存在といえる。”人民支配”という意味合いが強いのは昔と同じだが。その後、江戸時代に変わり、徳川幕府が天下を握っていた頃、キリシタンを徹底的に取り締まるための「宗門人別改帳」や大名家を統制する「分限帳」、先祖の戒名や没年齢等を記載しておく「過去帳」など、様々な戸籍に似た制度が誕生した。鎖国政策を敷いていた江戸幕府は、キリシタンの宗教に日本人が染まることを恐れ、寺請制度を設けて、人民がキリシタンの者ではないかどうかを確認する寺院もあったほどだ。

 

〜現代に至る戸籍まで〜

 

そしてついに現代の戸籍とほとんど同じ制度が長州藩(現在の山口県)によって制定された。これこそが「壬申戸籍」だ。戦前の壬申戸籍は、「家制度」を基本単位とし、戸主が家の支配権を握る、いわゆる「家父長(制)」だった。だが第二次世界大戦に敗北した日本はGHQの政策のもと、その壬申戸籍の概念が徐々に変化していったのだ。その変化した戸籍が今の戸籍制度である。「家制度」を廃止し、「戸主」は何の特権も有さない「筆頭者」に変わった。そうした時代の変遷を経て、今の戸籍制度にまでたどり着いたのだ。

 

〜歴史を振り返ると〜

 

こうして歴史を一から振り返ると、最初の戸籍は”人民を支配するため”の意味合いが強く、それがだんだんと姓名や身分等の確認の目的で使われるようになった。確かに今の戸籍と比べるとずさんな点もあったが、それでもあまり大差ないように見える。今でいう国勢調査も、国民一人一人の身分や家族関係などを調べているが、それも租税・徴兵のために使われた飛鳥時代に酷似している。少し話は飛躍するが、一応日本国民も徴税されており、その税金を軍事費などに充ててるのだから、飛鳥時代戸籍の”人を縛り付ける””人民支配”という意味合いが強いのは現代も同じではないだろうか。戸籍法は本当に必要なのか。甚だ疑問である。従来の価値観ややり方に囚われて、夫婦別姓を認めないような女性の人権をないがしろにする日本政府がトップにいる限り、現行戸籍法が”人民支配”という意味合いが強いと捉えられるのは当然ではないだろうか。

 

〜最後に〜

 

ここまで長々と戸籍法の歴史や夫婦別姓制度について語ってきた。確かに夫婦別姓にはデメリットもあるが、総合的なメリットの方がはるかに多いし、まして選択制なので否定する理由がない。女性への差別が激しいのはインドやアフリカでも同じだ。アフリカではいまだに女性は教育を受けさせてもらえなかったり、インドではダウリーという慣習があり、婿に嫁が持参金や物品などを提供しなくてはならない。そうした女性差別が根強く残っている限り、いつまでもたってもジェンダー平等は実現不可能だろう。女性差別が全世界でなくなることを切に願うばかりだ。そして日本にも夫婦別姓制度を適用し、女性が暮らしやすい環境を整えるべきだ。今後、ジェンダーの波はどう変化していくのか。先行きを注視する必要がある。