Youの雑記帳

Youの雑記帳

いろいろな体験をまとめていこうかなと、紅茶のお話もあるよ!

はじめまして、Youです。(^-^*)/コンチャ!

 このブログでは、僕が今までに経験したことを忘れないために、言葉にして残そうと思っています。タイトルの雑記帳の由来でもあります。

手軽な紅茶の淹れ方や、ソーシャルゲームの攻略法とかも紹介できたらなーと思っています。

(っ´∀`)っ))ヨロシク


<お断り>
この雑記帳は僕の経験に基づくものですので、「間違い」や「これ、違うんじゃない?」と思うのが出てくると思います。そんなときは、生暖かい視線で教えてやって頂けると悦び、喜びます。
Amebaでブログを始めよう!
今日日本橋の鍼灸院に行ったのだけれど、そこの先生が本当に凄かった!

どれだけ凄かったかと言うと、こんな顔になるくらい→(  Д ) ⊙ ⊙



治療の技術もとっても素晴らしいのだけれど、なにより、患者のことや、今までやってきた治療について否定しないところも本当凄いなって思った。

色んな病院や治療院に行ってきたから思うのだけれど、多くの医者や治療者は自分の技術にとっても自信を持っている。

自分の技術に自信を持つことは大切なことだと僕は思う。

けれども、治療者の中には、自分の技術は正しいと信じ、その人が今まで受けてきた過去の治療を『あー、あの治療じゃあ治らないんです』と言う
人もいる。

僕は、治す為に必要な治療の方法は一つじゃないと思う。初めて行ったところで治るかもしれないし、色んなところを回って治るかもしれない。

もしかしたら、色んな治療を受けたことで最後に治ることもあるのかも知れない。

ただ、その人が過去に受けた治療や施術を否定する必要はないんじゃないかなって思う。


今日は出会った、先生が凄いって思ったのは、今まで掛かってきた治療法を認めていたところ。
話を聞いて認めた上で、私の治療は〜と治療をスタートしたところ。

自分やっている以外の技術を認めるってそんな簡単に出来ることではないと思から。

僕も彼女のような、本物のプロになろうと思いました。

お久しぶりです。随分とまあ更新サボっていたわけなのですが、今日からぼちぼち更新して行こうかなと思っています。

師匠が不感症なんだね。とたまに僕に言います。

師匠の言う不感症って、言葉として意味は分かるのだけれど、僕自身のどんなところが不感症なんだろって、ずっと思ってました(笑

最近やっと、悲しいことや喜びを感じないようにしてる自分が僕の中にいることに気が付きました。

欲しいものや叶えたいものがあって、それが叶わなかったら悲しいですよね?僕はとっても悲しいです。

そんな叶わなかったことの積み重ねで、期待すれば傷つく、だから初めから期待しないようにしよう。そうすれば、叶わなくても傷つかなくて済む。

例え叶ったとしても、今回運が良かったのだと思おう。そうしたら、次叶わなかったり、得たものを失ったとき傷つかなくて済むと...

そんな繰り返しで、徐々に感情を感じなくしてったんだなって思います。

でも、置き忘れた想いって消えないのですよね。
ずっと心の奥底にいて、『私はここにいるんだー!』って叫でるんです。

だから、過去に封印した感情を見つけたあげる必要があるんです。押し込められて傷ついている、昔の自分を助けられるのは、自分しかいないのですから

武田信玄の言葉に、人は城、人は生垣、人は堀、情けは見方、仇は敵なりという言葉がある。

 

僕はある人からこの言葉を教わった。

その人が、不意に呟いたこの言葉は、僕にとってとても大きな衝撃を受けたし、その人の生き方そのものだと思った。

今日はその話を綴ろうと思う。

 

彼はとあるソーシャルゲームのクランの団長だ。

皆に団長団長と、とっても慕われている。

彼の生き方はとても魅力的だ。

団員一人ひとりを常に気にかけ、言葉をかけ、労い、フォローする。

ときには優しい言葉で諌める。

僕にとってとても憧れの人だ!

 

自分が偉いって感じのボスではなく、皆が楽しくゲームを出来る様に気を配るボスなのだ。

だから、常に団の結束は固いし、結成してから一年以上たっているが、殆どの人がこの人の元を去っていかないのだ。

 

この方は、ほんとうに傍にいる人たちを大切にしていると思う。

だからこそ、皆自然な形で集まって、楽しく会話したり、ゲームをしていると思う。

そして、だからこそ、うちの騎士団は結束がとても硬いのだと思う。

 

何を綴りたかったかと言うと、

相手のことを尊重し、そのうえで接する人の元には、この人の為ならば、このクランのためなら頑張ろうって人たちがたくさん集まってくる。

そして、それはとても大きな力となり、団を動かしていくのだと思う。

 

この武田信玄の言葉は、私にとってとても宝物だ!

コミュニケイションって難しいなって思います。

 

誰かとコミュニケイションを取ることって、よく言葉のキャッチボールって表現で表されますが・・・

 

ハッキリ言って、意識的に、このキャッチボールをすることがとても難しいと思う。

 

本来会話は、必ず相手がいる。
そして、その相手の言葉を受け取り、相手が受け取りやすい言葉を返す。そうやってキャッチボールをする。

 

だから、誰かと意識的にコミュニケイションを取るときって、相手にフォーカスする。

相手の言葉、感情に耳を傾け、聴き、言葉を投げ返す。

返すボールが、強すぎても弱すぎても行けないし、もちろん、明後日の方に投げてしまったら大変だw

 

だから、難しいと思う。

 

けれども、本当に呼吸を合わして、相手と会話出来たとき・・・

相手が自分に心を許して会話していると分かるとき

それは、とっても居心地がいいことを、僕は知った。

 

そして、相手に心を許して貰うには、まず自分自身が心を委ねるのだ。

相手を信じて、素直に話すことがとっても大切だと思う。

 

ちょっとずつ練習していこうと思う。

心を開示することは怖いけれど・・・

僕と関わる人達とちゃんとコミュニケイションを取りたいと思うから・・・

だから、やろうって決めた

 

 

こんにちは!お久しぶりです。最近家庭教師を始めたりと、私生活でいろいろあって更新忘れてましたw

 

理解ってとても難しいことだなって思います。

相手を理解することは凄く難しいことだと思うのです。

 

自分にとって簡単に出来ることでも、相手にとってそれが同じとは限らない。

自分にとってあたりまえのことでも、相手にとってそれが当たり前だとは限らない・・・

 

だってそうですよね?相手も自分も、目の前の人に出会うまで経てきた経緯や経験が違うのですから・・・

 

けれども、僕たちは良く、自分たちの経験や考え方を通して相手をみてしまいます。そして、相手の生き方を、良い悪いと(意識的or無意識的)に区別してしまいます。

 

それは、誰だって自分の生き方が間違っているなんて思いたくないから、だから、目の前の相手が自分と違う生き方や考え方をしているとき、相手を否定し、自分の正しさを証明しようとするのかもしれません。

 

相手に自分の選ばなかった価値観や考え方を見るから、そしてその価値観を観たくないから、相手を否定したくなるのかもしれません。

 

例えば、不慮の事故で妻を亡くした男性がいました。

彼はとっても彼女のことを愛していました。

けれども、その一か月後彼には新しい彼女が出来ました。そして、その後、その人と結婚しました。

 

皆さんはこの人のことをどう思いますか?

 

最初の奥さんに対して不義理に思うでしょうか?

それとも、旦那さんが悲しみを振り切り、新しく人生を歩み始めたと思うでしょうか?

 

きっといろいとな考え方があると思います。

 

一つ言えることは、僕たちは自分の見方、立場で起こっている物事をみているということです。