気付けば1年以上・・・ | Happy Day

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pon とlatte の にゃんこ生活

気付けば1年以上、放置したままに。

なんとなく、実家の引越、妹の結婚などでバタバタと過ぎていき、気持ちの余裕を無くしていました。

そして、3.11が。

平成7年1月17日の阪神・淡路大震災を大阪で迎えました。

地震で目が覚め、慌ててNHKをつけるとさほど大きくない震度が・・・。

安心した所数分たった頃、神戸の数字が一気にあがりました。

神戸の学校に通った時期もあり、母方の親戚はほぼ神戸にいるため、すぐ電話をかけましたが、神戸は軒並

み普不通に。

友達のポケベルをならしつづけたけれど、返答はなくただ時間だけが過ぎていきました。

いつしかテレビの画面に変わり果てた三宮の町、火に包まれる長田駅付近の映像。

すぐに主人と実家へ。

両親と相談の末、主人と私は神戸へ祖父を迎えにいくのと同時に、三宮の叔父のもとへ。

普通車では抜け道を通る事はできないため、知人の軽自動車に乗換、朝9時半に大阪市内を出発。

途中のコンビニで、水、ガスポンベ、食料を買い込み向かいました。

道路が陥没、通れるか通れないかの道をただ神戸へ。

線路を大阪へ向かい歩く人々・・・外の空気はきなくさく、埃っぽい。

迂回、迂回を繰り返し、12時間かかり神戸へ到着。

祖父を車にのせ、叔父に荷物をわたし、神戸を後にしました。

帰る途中、一人暮らしの友達の家を数軒訪ね、避難所に荷物を渡しに行きながら、実家についたのは

明け方の5時頃だった。

小学校の恩師が亡くなった・・・・・。

その当時、神戸はもう立ち上がれないのではないか?

綺麗な景観は戻らないのではないだろうか?

絶望していましたが、今はまた少し変わってしまったけれど、元気な神戸がそこにはあります。

人のつながりはとても尊いもので、きっと東北も神戸のように元気な町並みに戻ってくれるだろうと

信じています。

私の神戸に住む友人の多くは、今もパニック障害等、完治せずに暮らしています。

奥様がパニック障害だった為、そのご主人は会社の同僚の理解が得られず、辞めざるおえなくなりまし

た。

その上司や会社は関東の方で阪神・淡路大震災を経験されてなかった為、復興した後しか知らずに

そんな事ぐらいで?  と言われたそうです。

トラウマは残ります、今回の3.11の被災者の方たちと仕事や避難されてきたご家族の方と関わるときに

忘れないで欲しいな。と思います。

遠く離れた神戸でも、20年近く過ぎた今年の3.11で記憶のフラッシュバックが起こり、心の病をまた

患ってしまった友人がたくさんいます。

人は思っているほど強くはなく、とてもデリケートな人ばかりで当たり前です。

遠く離れていても、被災地の方々の心に寄り添う事はできると思います。

半年たち、当事者以外の人の記憶からそろそろ薄れて行く頃、忘れないという寄り添いを大切にしたい

と自分に言い聞かせたいと思います。

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