最近の話。
「わたしとは合わなかったんだね」
自分が発するこの言葉に、わたしは何度も救われてきた。
諦める理由は単純で、人を嫌いになりたくないからだ。わたしは悲しいことに、初対面で人を苦手だと感じることがほとんどない。人の悪いところが見えない。これは良いことのようで、実は厄介だ。というのも、苦手な人は一定数いるはずで、誰とでもうまくやるなんて幻想だから。「わたしはこの人が苦手だ」と気づくまで、ずいぶん時間がかかる。
苦手な人だったとわかったとき、わかったと同時に悲しくなり、こわくなる。今からわたしはこの人を嫌いになるかもしれない。お互いに傷つけ合うかもしれない。わたしにとって、嫌いになってしまうことは失うことよりもずっと虚しい。
だから嫌いになる予感がしたときは、すぐに失うことにしている。「合わない」「理解できない」と、その人を諦める。そうすることで、自分を感情の波から救い出す。いつからか癖になっていたこの方法は、人を傷つけずに、自分が傷つかずに生きていくのにひどく役に立った。
失うときには勇気がいるかもしれない。ひとつの物語を読む前の自分はどんな気持ちだったのだろう。大切なものが増える、その前のわたしは何を大切にしていたんだろう。わからない。わからないからこわい。当たり前だ。
でも戻る選択肢はない。前に進む道が2つなら、迷わず失う方をえらぶ。失ったらまた手に入れればいい。それがわたしのナニだったのか、わかるはず。
「嫌い」だけじゃない。
負の感情はわたしに、大切なものを忘れさせる。
いつだって確認できるように、強く、生きていかなければならない。
またひとつ大切なものが増えたから、そんなことを考えた。
あかるい朝。
もし「わたしとは合わなかったんだね」が言えなかったとしたら、
夜はジムのスタッフ御自慢の高速ピストでパンパン突かれていただろう。
あかるい朝。
そろそろ出掛けよう。
