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http://www.asahi.com/national/update/0508/TKY201205080149.html
10年前に39歳の若さで突然亡くなった高校教員の「過労死」が先月、ようやく裁判で認められた。何度もあきらめかけた妻を支えてきたのは、当時の教え子たち。「先生に恩返しを」という一途な思いだった。
◆過労死認定、支えた教え子 10年越しの「恩返し」
朝日新聞
控訴期限の7日が過ぎ、判決は確定した。仏壇の前に座り、妻は改めて遺影を見つめた。「10年も経ってしまったけど、見守ってくれてありがとう。励まし続けてくれた生徒のみんなにも感謝だね」
東京都町田市の都立野津田高校で体育を教えていた遠藤龍男先生。2002年2月6日、北海道への修学旅行から帰る途中、自宅の最寄り駅で倒れた。急性心筋梗塞(こうそく)だった。
1年から担任した6組には、やんちゃな生徒が多かった。自転車に4人乗りで登校したり、たばこを吸ったり。でも、龍男先生は毎日、一人ひとりに声をかけ続けた。「頑張ってるか」「悩んでないか」。停学や留年になりそうな生徒がいれば、「あいつは一生懸命なやつなんです」と他の先生に頭を下げた。
いじめに遭った、恐喝に巻き込まれた……。困ったとき、龍男先生は夜中まで携帯電話で相談に乗ってくれた。「自分たちのことを見捨てない大人がいるんだ」。2年生になり、クラスはまとまった。しかし、最後の学年を迎えることなく、龍男先生はこの世を去った。
クラスは荒れた。涙で授業にならず、代わりの先生に「出てけ」と反発した。悲しみをどこにぶつければよいのか分からなかった。それでも、一つだけ決めたことがあった。「龍男先生のため、みんなで一緒に卒業する」。1人も欠けることなく34人は卒業した。
卒業アルバムには、生前の龍男先生を囲んで撮ったクラス写真が載っている。「いつまでも、みんなの心の中で龍男先生は生きています 六組一同」。文化祭で仮装した笑顔の生徒たちの真ん中で、先生はVサインをしている。
先生の死後、教え子や保護者たちは「たつお会」を立ち上げた。龍男先生の妻が民間の労災にあたる「公務災害」を申し立てたことを知ると、応援するように。しかし、4年かかった最初の請求は「不認定」。2度の不服申し立ても認められず、09年に提訴した。
教え子たちは審査で証言し、裁判でも10通以上の手紙を証拠として出した。修学旅行で深夜3時まで見回っていたこと、珍しく「具合が悪い」とつぶやいていたこと、帰京して解散後も他校の生徒とのケンカを仲裁してくれたこと……。
こうした内容も検討した上で、東京地裁は先月23日、「過労死」と認めた。死の直前1週間に61時間の時間外勤務があり、「質的にも量的にも過重だった」と認めた。
教え子たちは今も命日や裁判の節目ごとに集まっている。2児の母になった乾真紀さん(27)は言う。「最後にありがとうも言えなかったから……。これで、少しは恩返しができたかな」
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