和佐又~大普賢岳(令和二年) | 空と海・・・ときどき山のブログ

 

 大普賢岳は結局、三回登頂した。

一回目 2016年11月 周回コース(当ブログで過去に紹介)

二回目 2020年9月  周回コース(雨によりすべって転んで登山用の杖が折れる)

三回目 2020年10月 山頂でUターン(今回紹介)

 

 

 和佐又山ヒュッテは解体され、新しい建物が出来るのかな。

 この写真撮影から既に一年近く経っているので、基礎ぐらいは出来たのかしら。

 

 

 

 今回、初めて見つけたレリーフ。

『坂口圭正君は ここ和佐又山がスキー場として

また大峯山への登山基地として開発されようとした魁(?)

昭和三十二年(1957年)三月の初踏査以来 精魂を傾けて

地元に協力した影の人であった

 奈良県山岳連盟・同スキー連盟の中心となってこの地で

登山・スキーに関する諸行事を開催し登山者の

誘致に尽力した

 彼の情熱こもるこの山にその功績を永遠にたたえる

ためこの一文を草する』

 

 ネットで見つけた一文

 『当会々長であった坂口圭正氏が登山大会の宿舎にて、新潟県より参加されていた藤島玄氏の頭を

蹴飛ばしたことから交流が始まったと伝えられている』

 ・・・ ・・・

 ・・・ ・・・ ・・・ どんな状況なんだ?

酔っ払っていたのか?

せまい部屋で雑魚寝していてトイレにいくときに誤って接触したのか。

 

 

 

 

 指弾(シダン)ノ窟   登山道沿いにある。

 

 

 

 

 彼の地は久方ぶりにお邪魔すると日本遺産に登録されていた。

 

 『笙之窟は大峯山脈の主稜を構成する大普賢岳東方の日本岳の中腹南面岩壁に開口する

自然窟であり、「大峯山行所・七十五靡のうち、六十ニ靡」の行場霊地である。

 樹齢約500年の自然林に囲まれており、冬籠の行場で千日籠り修行が行われていたとされる。

 日蔵上人の参篭冥界遍歴は国宝「北野天神縁起絵巻」に描かれており、弁覚上人の

勧進による銘の金銅不動明王像が祀られていた』

 

 

 朝日窟    碑伝が多く見られる。

 

 

 鷲の窟    横顔がりりしい。

 

 

 

 

 勾配角度は何度なんだ・・・ ・・・って昔、書いた。

 

 

 

 

 途中にある石の鼻からの眺望

 

 

 

 第63行所  大普賢岳 1779,9m

 登頂三回目ともなると達成感と共に郷愁すら感じる。

 懐かしさがこみ上げてくる。

 

 

 

 

 本当はここが今回の目的地です。

 第61靡  弥勒岳

大峯七十五靡図には、「役行者が鬼神を使役」と書かれている。

 

 

 

 
 次回に続く。