今年5月に訪れました。
看板は風雪に耐え、下半分は読めない。
和歌山県指定文化財
昭和三十三年四月一日指定
平安時代に花山法皇が
正暦(しょうりゃく)三年(992年?)
しばらくの間、修行のため御籠りになったと
伝えられる。
江戸時代にこの遺跡から古瀬戸の四耳壺(しじこ)と山茶碗が出土したので
これを法皇御愛用品であるとして
紀伊藩主徳川頼宣が石櫃(いしびつ)を
つくらせ、この堂に記念物とされた。
後世に至ってこの堂に熊野那智大社に
所有(?)され御籠所跡に残されている。
昭和四十八年三月三十一日
この遺跡の近くには円成寺という寺院が
あったそうだが、堂宇は現存しない。
この場所から木の影に隠れるように
ニノ滝が見える。
付近で見かけたのは銀竜草だろう。
看板は風雪に耐え、下半分は読めない。
和歌山県指定文化財
昭和三十三年四月一日指定
平安時代に花山法皇が
正暦(しょうりゃく)三年(992年?)
しばらくの間、修行のため御籠りになったと
伝えられる。
江戸時代にこの遺跡から古瀬戸の四耳壺(しじこ)と山茶碗が出土したので
これを法皇御愛用品であるとして
紀伊藩主徳川頼宣が石櫃(いしびつ)を
つくらせ、この堂に記念物とされた。
後世に至ってこの堂に熊野那智大社に
所有(?)され御籠所跡に残されている。
昭和四十八年三月三十一日
この遺跡の近くには円成寺という寺院が
あったそうだが、堂宇は現存しない。
この場所から木の影に隠れるように
ニノ滝が見える。
付近で見かけたのは銀竜草だろう。