浄見原神社 | 空と海・・・ときどき山のブログ

 

 熊野だけではなく時々、奈良県の観光地も紹介しています。

 

 今回、ご紹介するのは吉野川流域にある『浄見原神社(

きよみがはらじんじゃ)』です。

 

 
畑下賢治  観光ブログ-石碑   こちらは
  自然公園に指定されております。

 

  この神社は河の中洲にあります。

 

  近くに津風呂湖がありますが、

 初めて行くとなかなか

 見付けにくかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


畑下賢治  観光ブログ-手前の石段   縄文・弥生式の土器がこの周辺から

 発掘されております。

 

 

   以下、案内板より転載。

 

 

 

  「神武天皇がこの辺りにさしかかると

 尾のある人が岩を押し分けて

 出て来たので、『お前は誰か?』と

 尋ねると『今、天津神の御子が

 来られると聞いてきたので

 お迎えに参りました』と答えた。

  これが吉野の国栖の祖である」

 

 という記載が記紀にあります。

 

 

 

 


畑下賢治  観光ブログ-鳥居

 記紀の応仁天皇(今から約1600年前)が吉野の宮滝に来られたとき、

国栖の人々が来て、一夜酒を作り、歌舞を見せたのが

今に伝わる国栖奏の始まりとされています。



畑下賢治  観光ブログ-社殿
  さらに1300年ほど昔、天智天皇の跡を

 継ぐ問題がこじれて戦乱が起こりました。

 

  世にいう『壬申の乱』です。

 

 

  天智天皇の弟、大海人皇子はここ

 

 吉野に兵を挙げ、天智天皇の皇子

 大友皇子と対立しました。

 

  戦は約一ヶ月で終わり、

 

 大海人皇子が勝ち、天武天皇と

 なりました。

 

 

 

 

 


畑下賢治  観光ブログ-奥の石段
  この大海人皇子が挙兵したとき、

 

 

 

 

 

 国栖の人々が味方につき

 敵の目から皇子をかくまい、

 また慰めのために一夜酒や

 腹赤魚(うぐい)を供えて

 歌舞を奏しました。

 

  これを見た皇子はとても喜ばれて

 『国栖の翁(おきな)よ』と呼ばれたので

 この舞を『翁舞』というようになり

 代々、受け継がれて

 毎年、旧正月十四日に天武天皇を祭る

 浄見原神社で奉納され

 奈良県無形文化財に指定されています。

 


畑下賢治  観光ブログ-吉野川

  12世紀後半まで宮中で奉納されていた古代の歌舞『国栖奏』が

今も連綿と受け継がれています。

 

 大海人皇子(おおあまのおうじ)もさぞかしお喜びになられたでしょう。