あ~、ホントに行っちゃったな……


次女を乗せた飛行機が目の前で離陸するのを見ていた
小さくなっていく飛行機に手を振りながら
目からは涙がこぼれていた



やはり最後まで笑っているのは難しい


喪失感が思った以上に大きいことに驚いている

心にぽっかりと穴があいたよう

よく使われる表現だが
この言葉がぴったり当てはまるかもしれない


でも、ここからが正念場だ
わたしはこの喪失感と闘い、それに打ち勝たねばねらない





次女は今日、韓国へと飛び立った
1年間の語学留学のためだ


彼女からこの考えを聞いたとき
私は心の中で拍手をしていた
学ぶことに意欲を示すなど、過去には考えられなかったからだ

そして同時に、少しの寂しさも感じていた
ああ、この子もこうして離れていくのだな、と



だけどもちろん、自分の寂しさのために子どもの進路を妨げるつもりはない
心配ごとも考え始めたらキリがなく
何もできなくなってしまう



周りからは「よく許したね」と言われることもある
今はコロナウィルスの問題もあり
余計にそう考えるひとが多いと思う





ここから少し私の話をしてみよう


私はひとり娘である
本当は5歳くらい上に兄がいたはずだった

ところがその兄にあたる子は
生まれた翌日に亡くなってしまったそうだ


加えて私は小さいころ体が弱く

よく風邪をひいたり、リンパ腺を腫らしたりしていた


いちど発熱するとなかなか下がらず
幼稚園のころなど、1週間くらい続けて休むのはザラだったのを覚えている


これだけでも、私が大切に育てられたことは想像できるだろう



けれども、成長しても大人になってもある意味私は守られており
周りの子たちと比べていつも自由がなかった



私がある職業を目指したい、と相談したときも
「その仕事は大変だよ~」と深刻な顔つきで言われる

私も私で守られ慣れているためか、親にそう言われると弱いのだ


自分が本当は何がしたいのか
それに向かっていくにはどうすればよいのか

そういう考え方に持って行けず
いつも「はぁ~、そうか」とあきらめていた






私は両親を恨んでこれを書いているわけではない
父も母も私を守ることを第一に考えて、一生懸命育ててくれた
それは間違いない


けれども、と私は思うのだ

何かをしたい、と言ったとき

ただ苦労するからとか、危ないからという理由で

後ろ向きな反応をしてほしくなかった


背中を押したり一緒に考えたりしてほしかった、と


だから私は、子どものやりたいことを応援したい
そういう親でありたい
と考えるようになったのだ




とはいえ、自分が育てられた方法しか知らない私は
長女、長男には同じように接してしまうのである

今のような考え方になったのはもっと後からで
その恩恵を受けた(?)のが末っ子である次女なのだ


私は長女と長男に申し訳なかったという思いがあるのだが

ここでは割愛する
また別の機会に書いてみようと思う




今回、次女の語学留学が実現したのは
本人の強い希望があったからだ

そして私たち親は彼女の背中を押した


私は彼女の健闘を祈り無事を信じ
心からのエールを送りたい

たとえ去っていく飛行機を見送り涙しても、だ


近くにいるのが当たり前すぎて
本当に行ってしまったことに今さら慌てているのだけど



自分がなぜ彼女の願いを後押ししたのか
その理由を見失うまい、と思う

そして、自分も親に同じような思いを何度もさせてきたことも


でも、子どもというのはそれでいいのだと思っている
そうやって自分の力で歩き出すことができたら
その子育ては成功したのだから






出発ゲートで娘さんを見送りに来た家族に出会った
聞けば我が家の次女と同い年で、同じ便に乗るとのこと
やはり展望デッキでも飛行機が見えなくなるまで見送っていた

大事な子どもを旅立たせる
その心情は同じなんだな


あのお父さんもお母さんも今ごろは
心にぽっかりとあいている穴を見つめているかもしれない

だけどきっと、それを乗り越えていくのだと思う
それが私たち親にできる唯一のことなのだから



次女から贈られた本がある
その中に手紙がはさんであるから読んでね、とメッセージが届いた

そこにはこれまでの感謝と決意があふれていた



我が家の末っ子であり、なんとも手を焼いた娘だが
たくましくなったものだ

私も子たちに負けず、たくましくなる