一意専心Ⅱ | 暮らしの中の陽明学

一意専心Ⅱ

君子の意思は内に向ふ。

己ひとり知るところを慎みて、

人に知られんことをもとめず。

天地神明とまじわる。

其人がら光風霽月(せいげつ)のごとし。

 

 

 熊沢蕃山の『集義和書』の中に、小人を離れて、君子となるべき一助にと書かれた君子の特徴と小人の特徴をいくつか挙げた文章があります。この文章は、君子の条件をいくつか挙げたものの中の一つです。君子には有名になりたいという私欲がないので、日本には歴史に埋もれている君子が沢山いるのではないかと思います。

 

 

◆ 徒然日記

 中江藤樹の人為(ひととなり)を示すお話に「蕎麦屋の看板」というものがあります。

 蕎麦屋の主人が看板を書いてくれる人を探していたところ、友人から、それなら小川村の与太郎さん(中江藤樹)が良いと言われて、中江藤樹を訪ねて行きました。中江藤樹は、快く引き受けてくれましたが、1週間ほど待って欲しいと言われました。その後、蕎麦屋の主人は、中江藤樹に書いてもらった看板を掲げて蕎麦屋を営みました。

 

 ある時、その蕎麦屋の前を加賀の殿様が通りかかり、その蕎麦屋の看板が大層気に入って、売って欲しいと蕎麦屋の主人に懇願しました。殿様が強く要望されるので、蕎麦屋の主人も、それならと売ることにしました。

 

 看板がなくなったので、蕎麦屋の主人は、また、中江藤樹を訪ね、もう一度看板を書いて欲しいと懇願しました。中江藤樹は、黙って、納屋にしまってあった木箱を取り出して蕎麦屋の主人に見せました。その木箱の中には、前回依頼された看板を仕上げるために書かれた下書きが山の様にありました。それを見た蕎麦屋の主人は、軽々しく看板の揮毫を依頼したことを恥じ入りました。

 

 閑話休題、私ごとになりますが、最近、これまで学んできた易や陽明学に対する所感を文章にしようと思い立ち、簡易製本をしました。本にしてみて気づいたのですが、内容がどうしても硬くなるので、親しみやすい挿絵があるとよいのではないかと思いました。

 

 そして、知り合いにとても親しみやすく、心が温まるようなイラストを描ける方がいたので、依頼しました。お願いしたのは良いものの、依頼を受けたその方の取り組みは、中江藤樹の蕎麦屋の看板を彷彿とさせるほどの丁寧なもので、恐れ入ってしまって、今の私は、蕎麦屋の主人のような心境です。