ただいま
新幹線Now〜
SAORIYAMAMURAスクール セクション1
幸せにしかならない生き方スクール
今回
初めて
私一人
単身での参加です。
娘こはる(6歳)と息子こうへい(8ヶ月)の
3人きりですごす二日間は
旦那さんにとっても初めて。
前々から
旦那さんは
娘こはるとは
よく2人ですごしていたけれど
今回は
こうへいまで一緒で
どんな反応するかな?
と思っていましたが
意外に
「 なんとかなるやろ。」
と全然平気。
昼間に
こはる&こうへいと
3人きりですごすことを
何度か経験した旦那さんにとっては
それが二日間に伸びただけの話。
スクールに行くために
用意周到に
段階を踏んで…
としたわけではないけれど
こうへいの授乳をやめ
ミルクに変えたこと。
こうへいを
一時預かりに預け出したこと。
あれやこれやと
こはるに
手出し口出しして
こはるの責任領域を侵すという
パンケーキすることをやめたこと。
子どもに向けていた意識やエネルギーを
私に向けるようにしたこと。
お母さんになりきることや
私がお世話しなきゃ!
をやめたこと。
私の心地よさと快適を
1番に優先するようになったこと。
私に湧き上がった感情や気持ちを
素直に出すようにしたこと。
私の幸せは私次第
私は女である
を意識したこと。
から
今
私がやりたいことのために
私を犠牲にすることなく
家族に遠慮することなく
罪悪感にさいなまれることなく
子どもを預けて
24時間1人ですごせる私になれました。
もちろん
清々しい気持ちでいますが
旦那さんに
まだ少し
負担じゃないかな?
大丈夫かな?
わるいかな?
という
罪悪感があります。
子どもたちには
なんの罪悪感もないです
子どもたちは
私がいなくたって
存分に楽しくすごすやろなぁて
感じているから
なんの心配もないです。
あの2人は大丈夫!という信頼が
あります。
前回のスクール参加時には
まだあった
良いお母さんでいなきゃ!
の気持ちは
今はないです。
ですが
まだ旦那さんに対しては
良い嫁でいたい私がいるのだと
罪悪感から気づきました。
今までなら
罪悪感はわるいもの。
罪悪感はもってはいけないもの。
罪悪感は手放さなければいけないもの。
とジャッジして
旦那さんへの感謝の気持ちを増大させて
罪悪感を感じていないフリしていました。
でも
前回のスクールで
SAORIさんから
『 大事な私からわきあがった感情は
全部大事やねん。』
『 その大事な私が感じていることを
感じたらあかん
とか
なかったことにする
とか
私にはないねん。』By SAORI YAMAMURA
全受容全肯定。
いかなる時も自分LOVE。
を存分に魅せてもらい
私が
私にとって都合のわるいものは
感じていても
都合がわるいから
こう思った方がいいから
と
なんで
それがわきあがったの?
何を感じているの?
と
受け取り拒否して
排除して
私は大丈夫!
としていました。
だから
受け取りきれず
同じことを何度も繰り返す。
そして
毎度もれなく取りこぼす。
こちらのDVDでも
SAORIさんと
かみさま(加美 大輔さん)から
自分を愛すること
について
ものすごく心に響くお話を
耳にしました。
ああ
私は
いかなる時も
自分LOVEではなく
いかなる時も
自分LOVE風やった!!
と
自分LOVEしてるよ逃げして
私が私に何を伝えてくれているのか
私が私にどうしてほしいのか
聞く耳が全くなかった。
都合よく
トリミングして
この私はオッケー
この私はイヤー
と
ここの時点で
自己批判
自己否定
で
自分LOVEじゃないのに。
自分に都合の良い私しか愛さない
なんて
どれだけ
自分にひどい仕打ちをしていたのか
私を苦しめているのは
他の誰でも何でもなく
私自身だった。
ことを
体感しました。
だから
どんな感覚も
私に必要な
私の大切な
気持ち。
旦那さんに
罪悪感を持ちたくないからこそ
罪悪感を感じている私を
感じたくなくて
逃げていました。
逃げずに素直に感じて受け取りました。
旦那さんは
私がいないと寂しがる。
旦那さんは
私がいないとダメ。
私がそばにいてあげないと。
という
旦那さんへの見下し。
信頼のなさ。
昔
私が毎週末出かけたり
泊まりで何度も出かけて
旦那さんが寂しくて泣いた。
事実はこれだけ。
なのに
私が泣かせた。
私が旦那さんを傷つけた。
私はわるい妻だ。
私は大切な人を平気で傷つける奴だ。
私は人の気持ちがわからないダメな人間だ。
私なんかと結婚した旦那さんが不幸だ。
↓
だから
もう泣かせたらいけない。
泣かすようなことをしてはいけない。
私は良い妻であるべきだ。
が強固になった。
寂しくて涙を流すのは
自然なこと。
泣くのは旦那さんの自由。
嬉しくて楽しい
自分の好きなことをするのは
自然なこと。
好きなことをするのは私の自由。
対等にみることが
できていなかった。
私がやりたいこと
私が好きなこと
をすると
また
旦那さんが泣く。悲しむ。傷つける。
と
私を引っ張る!
私を責め立てる。
だから
いつも
旦那さんを傷つけないように
旦那さんが寂しがらないように
加減した
セーブした
制限した
世界にいて
旦那さんがどう思うか?
が
主軸になり
私がどうしたい?
を
抑えこもうとする。
私の幸せは私次第であるならば
旦那さんの幸せも旦那さん次第。
旦那さんの幸せは
私次第でもないし
旦那さんの不幸せも
私次第ではない。
旦那さんにも
旦那さんの人生がある。
罪悪感の正体は
私が旦那さんを幸せにしないといけない。
なのに
私は私が幸せになることばかり考えて
私が旦那さんを幸せにできていない。
という
私が幸せになることへの遠慮。躊躇。
私が幸せになることを選択したにも
関わらず
覚悟や責任を引き受けていなくて
旦那さんのせいで
私は幸せになることを遠慮してるんだ
という
旦那さん責め。。
そして
旦那さんを私が不幸せにしているという
ど厚かましい
私が上目線。。
うう、、痛すぎる。。
私が
旦那さんを幸せになど
できるわけがない。
私は私しか
幸せにできない。
もっと
旦那さんの力を信じよう。
旦那さんの人生の豊かさを見よう。
そして
もっと
自分に夢中になろう。
もっと
私は私を幸せにしよう。
私が
旦那さんを幸せにしようとしたところで
誰も幸せになれないのだから。
私にできるただ1つのことは
私を幸せにすること。
私が幸せな姿を世界に見せること。
これだけ。
私は
1人の女。
旦那さんは
1人の男。
同じ1人の人間。
妻である
夫である
前に
対等な1人の人間同士。
今日と明日
24時間1人きりで
私に夢中ですごせる時間。
思いっきり楽しもう
旦那さんに感謝しなきゃ
ではなく
その時に感じた気持ちを
わきあがった気持ちを
旦那さんに伝えてみよう