世の中は本当によくできていて

気づき出すと

「ほ~ら、やってみなさい」

とお試しがくる。

実践させられるウッシッシ


境界線を意識しだしてすぐ

旦那さんによくないことがおこり

落ち込んでいた。


今までなら

どうしよう・・・どうしよう・・

何かしなきゃ

何とか元気になってほしい

って必死になって

気をもんでいた。

そしてグッタリしていた。


そして今回も

どうしよう・・どうしよう・・・

とオロオロし始め、あっ!と気づきました。

いやいや、これは私自身の問題じゃない。

乗り越える必要があって学びがあるから

旦那さんににやってきたんだ、と思えました。

もちろん一番身近にいる人だからこそ

力になりたいし

励ましたり癒したりしたいけれど

その人自身が乗り越えないと意味がない。

もう成長の邪魔はしない!と宣言したんだからと

今までのパターンに気づくことができました。


でも今まで癖にもなっている自分のパターンなので

相手の問題やからと

線を引いて見ていると、

確かに自分は聞いていても

すごく冷静でいられるし

影響をうけないので楽だけど


だんだん


なんだか心苦しくて

相手と同じように感じられないと申し訳ない

なんて気持ちがムクムクわいてきて

また引っ張られそうになって

その度に

いやいや~・・・と葛藤している自分がいました(笑)。


境界線を作る方がしんどい!

なんて思ったりもした。

相手と一体になって自分をなくす方が楽。

もちろん今までの自分のパターンを変えることが

なかなか大変ということもあるけれど、

その裏には

相手を信頼していないんやなってことがでてきた。

どこか

「私がいなきゃ~」

とおせっかいゲームをしたり(だから依存させてしまう)

「自分が何とかしないと~」

と全部自分がしなければと背負ってしまう。


仕事でも

人にお願いすることが苦手で

頼んだら巻き込んで悪いと思うことはもちろんあるけれど

効率が悪いとわかっていても

どんだけ大変でも自分でやる方が楽。


それも

「私がやらなきゃ~」

の観念が。



何もかも自分でしないと気がすまない

何もかも自分で背負ってしまう


でもそこに人がかかわってくると

よけいそれが発揮されてしまうやっかいな癖。


そこには、「人を頼ってはいけない」の観念がある。

「何もかも自分でしないといけない」

そんな幼少期を過ごし

両親の記憶もあまりない。

自分で何とかしないとどうにもならない状況が多かったのか

いつの間にかそんな観念ができていた。

人任せにしていたって状況は何も変わらない。

自分で変えるしかない。

そんな記憶が影響しているのだと思う。


それが人を信頼できていないことにつながっている気がする。

だから自分を相手に投影して

自分やったらこうする~と相手になりきってしまうんやな・・・


でもそのことにも気がつくと

いくら家族でも友達でも

いくら愛していても

その人は自分とはちがう別人であり

学ぶことも人によってちがうし

それぞれのペースがある。


人とはちがうってことが

どこかさみしかったのかもしれない。

自分と一緒でいてほしい。

母の子宮からこの世にうまれたときにもった

はじめての分離感。

母と一体であったのに

母から分離されてこの世にうまれた。

人生のはじまりが分離というさみしさから

はじまったから。

私は一体でいたいんやなぁて思う。

だからよけい境界を意識する必要があるんやなって思う。


なかなかできなくても

境界線を意識しながら相手と接していると

色々でてくる。


不思議なのは

境界線を意識しだすと

まわりの身近な人たちが

自分から答えをだしはじめた。

今まで私がその成長を止めて

相手に依存させていたんやなって実感した。

相手との距離をさみしく感じる私は

もっと人を信頼して

親離れならぬ人間離れ?しないといけないのかな?

そしてもっと甘えること

人に頼ることも自分にゆるしていけたらいいなぁ。