「オブシディアン」と出会い、出てきた言葉。


『その人の責任を肩代わりすると

 その人の学びをうばってしまうことになる。』


自分としては全く人の責任をうけおっているつもりもなく

ただ私でできることがあるなら力になりたいし

なんとかしたいと思ってしまって

勝手に無意識に動いているだけ。

でもその中に

意識はしていなくても

困っている人を悩んでいる人をただ見ているだけなのが

しんどいから。

動いている方が

何か関わっているほうが

自分の居心地がいいからしているのかもしれない。

もちろん助けになりたいと思ってしている。

「いい人」と思われたくてしている?

「ありがとう」の気持ちが欲しくてしている?

でも必要以上に必死になっている自分がいる。

それは、役にたたなければ生きていてはいけない

生きるか死ぬかくらいの必死さがある。

なぜ??

きっと、自分の価値を

人からの判断で決めているから。

だからいつも人の目を気にしてしまうし

みんなから愛されたいって思ってる。

嫌われたくないとおびえている。

だから人のために必死になってしまう。

だから自分はどうでもいいし

人の次になってる。

人からどう見られているか

そのことで毎日必死やから。

自分は一体どこにいるんやろう??

それもわからないくらい自分がない。


でも、そのことが

人のために~てすることが

実は相手の成長をうばっている。

成長のため学びのために相手にきている課題を

私が色々引き受けてしまうから

相手は必要な学びを受け取れない。

私が邪魔している。

ああ、なんてこと!!

大ショック・・・。

私のしてきたことって一体・・・落ち込んでしまった泣き顔たらーっ(汗)

助けたいと思ってしていることが実は邪魔をしていたなんて。

スピリチュアルの世界では

みんな学び成長するために今世を生きているという。

はぁ~、私今まで必死やったな~。

でももう邪魔になるんならやめなあかんなぁ~・・どうしよう。。

知ってしまった以上、邪魔できない。

相手に任すしかない。

自分の価値も自分で決めるしかない。


そんなことグルグル考えている時

「最近本を読んでないな~」と思い

妙に気になる本があり開いてみると

偶然そこのページにも同じメッセージが!!


『 相手が転ぶとわかっていても

  「やりたいようにやりなさい」

  と言えるのが本当の愛です。

  愛ゆえに、相手から、転ぶという貴重な経験を

  奪ってはいけないのです。

  「転ぶ自由」をも尊重してあげられてこそ

  本当の愛なのです。            』(江原 啓之著)


うわぁ~、同じこと言われてる~あせあせ(飛び散る汗)

もう観念しました(笑)


保育士をしている時もいつも「ああ・・そうやったら・・」

と子どもがすることやることにやきもきすることがあっても

実際体験して身をもって学ぶことが大事やからって

ぐっとこらえて見守っていました。

子ども相手やと自然にできることができてなかった。

またまた子どもたちから学ばせてもらってたんやな~。


その人におこる出来事は、その人に必要があっておこることで

その人には乗り越えて学ぶ力があるからくる。

私にできることなんて見守ることだけなんや。

その人の問題はその人の責任。

私は肩代わりできないし私の問題ではない。

その人の人生はその人自身のもの。

私は私の人生においてのみ責任をとる。

意図して宣言して

境界線をもつ。


すると

人の役にたつとか思わなくても

何もしないでいることに罪悪感を持たなくてもいいし

必要以上に必死にならなくていい

相手を信頼して見守ることだけでいい。

だから私は自分の人生にもっと責任をもたないといけない。

逃げないで、人に評価を求めないで

自分の人生を自分で創造していく。

それができるのは自分だけやから。

人にはそれぞれ歩む人生があって

誰にも代わりはできないんや。

それが自分で自分に責任を持つことなんやろなぁ。

自分の足で自分の人生を歩んでいくことが

自分を持つこと

自分を信頼することに

つながっていくんやろなぁ。

それがグラウディングなのかもしれない。

自分とつながること。

自分と人との境界線をもつこと。

お互いを尊重すること。

自分自身であること。


石からのメッセージは

ほんまに必要なことを教えてくれる気がする。