小さい頃から

気がつけば手にしていたクリスタル。

「黒」でも書きましたが

身につけるものは黒がほとんどだったのに

クリスタルだけは黒がなく

色んな色の石が集まっていた。

「石はその人自身の本質を表わす」と言われているので

知らないうちに矛盾している自分

本当はこうなんだよって教えてくれていた気がする。


でも「黒もいいやん」って思えてきた頃から

不思議と黒い石が目につくようになってきた。


あるクリスタルワークに参加した時




     クリスタル



 
「この中から気になる石を選んで」

そう言われたとき、

以前までの私なら明るい透明な

ピンク、イエロー、オレンジ、グリーン、ブルー・・・

カラフルな石を選んでいたのに

一番目について離れないのは中央にある

黒くて丸い石。

その石の名前は「オブシディアン」



オブシディアン



真っ黒なのに光って見えた。

どの石よりもどっしりとしていた。


オブシディアンを手にしてメッセージを感じてみる。

赤を中心にオレンジ、イエローの光が広がり

体があつくなってくる。

すると光がぱっと消え、夜の海がでてきた。

暗くて嫌な感じ。見たくない・・。

「こんなの嫌や」

ちがうメッセージを受け取ろうとするが

また逃げてる自分がいて

でも意味があるんやと思いなおして

嫌なところももっとちゃんと見ようとすると

フッと消えた。


それぞれみんな自分が選んだ石からのメッセージをシェアをし、

最後にリーディングをしてもらった。


「オブシディアン」は火山灰からできている天然ガラス。

黒い石は、見えないところを見せてくれる石。

ネガティブな部分に光をあてる。

癖を表にだすデトックス的な働きがあるという。

私が「オブシディアン」を選んだのには意味があった。


無意識に人の責任を背負ってきてる。

それがネガティブになっている。

自分以外のネガティブを体に入れている「スポンジ」

とりつかれをやめて一線を引くこと。


その人の責任を肩代わりすると

その人の学びをうばってしまうことになる。

そこに人が集まってくる。

自分がしんどくなる。


言わないといけないことは言わないとダメ。

人に嫌われたくないから言えないのは、人を主体で考えているから。

人を主体に考えていると自分が嫌いになる。

自分が主体でいること。

その人のためを思って言う。

根底に動機に愛があれば

伝わる。

動機や発端が大事。

言えないのは、自分の痛いところ、イヤなところを

見るのがつらいし怖いから。

自分のイヤな面を見れていないから受け止められない。


だからメッセージを受け取るとき

イヤなこともちゃんと見ようと思うと

イヤなイメージが消えたんだ。

自分のイヤなところもちゃんと見ていこうと決意できると

それが手放しの一歩になるんやろうなぁ。


でもこの日もらった言葉がずっとグルグルまわって

頭からはなれなかった。


『その人の責任を肩代わりすると

 その人の学びをうばってしまうことになる。』


初めて聞いた言葉。

でもすごくふに落ちた言葉。


人のことでも自分のように思えてしまって

悩んでる人落ち込んでいる人を見ると

どうにかしたいと思って必死になるし

どうにもできないと自分がとてもふがいなく思えて

自分をすごく責めてしまうし

どうにかできると逆にすごくホッとして

初めて自分の存在価値を認めてもらえた気になる。

役にたたない自分は存在してはいけないんだって思ってる。


自分ばっかり幸せになったらダメやと罪悪感も持つし

人が幸せでないと私は幸せになんかなれない

人より不幸がちょうどいいと思ってた。

本当にいつもいつも人が主体。

自分は人の次。


どこまでが自分で

どれが自分なのか

ぐちゃぐちゃ



境界線


私にはそれがない