赤城の山も今宵限り! | 色彩書家の悪あがき

赤城の山も今宵限り!

こんにちわ。

今年のブログもあと二回になりました。

今年は、どんな年だったでしょうか。。。思い返す時期ですね。

と、同時にクリスマス!コロナが続いていたのでおうちクリスマスが多かったけれど今年は外食などする方も

いらっしゃるのでは。。。。

 

クリスマスといえば、イエスキリスト。イエス様は、「磔」にされたんですよね。

今日は、「磔」繋がり(なんてへんなつながり!ですが)で。。。

 

1850年の今日、 国定忠治が「磔」の刑に処せられました。

「赤城の山も今宵限り」で有名な国定忠治。というか、これだけしかよく知らない。。。

なのでここは、調べるしかない。

国定忠治は、 1810年、上州佐位郡(さいごおり)国定村(群馬県伊勢崎市)の富農、長岡家の子として生まれました。 本名を長岡忠次郎といいました。

17歳のとき人を殺し大前田英五郎の許に身を寄せ,博徒の親分になる。

博奕を業とするが,縄張りのためには武闘を辞せず,子分を集めて私闘を繰り返したが、私財をなげうって窮民を救い、地元の沼を改修する資金を調達するために賭場も開いたと伝わっているようです。

テレビドラマ「木枯(がら)し紋次郎」は、かれをモデルにしているそう。

似たような人、ねずみこぞうを思い出しました。不思議な人物だったんですね。

 

 

「忠」を書きました。

 

 

今日もご覧いただきありがとうございます。

気ぜわしくなってきましたのでどうぞお気を付けください

 

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