こんにちは。

 

日本は「個人の判断」となった今でもマスクを着けている方がほとんど。

 

同調圧力もあるのでしょうが、それ以上に「マスクを苦に感じていない」という方も多く、別に着けていても屈辱的には感じていない方が多いでしょう。「マスクをしなければいけない」=「政府に屈している証拠」とはならないはず。

 

まあ花粉もあるし、周りも着けてるし、まだ着けてても良いかな、外で一人の時は外そうかな?とかその程度。

 

 

しかし特に欧米では「マスクを着用しなければいけない」=「人権侵害」と結びつける為、マスクが義務になってマスクを付けないといけないというのはとても屈辱的な事として捉えています。

 

だから去年や一昨年、マスクの件が問題になり学校でデモが起こったりしていたのです。マスクを着けないといけないなら、学校へは行かない!とそれくらい強い気持ちを持ってマスクに対して反対意識があります。

 

 

日本ではマスクは全く別に何も思っていないけれども、サングラスをしたまま人と話すという事は少ない(そういうキャラの人は別として)。それはなぜなら、日本人は相手の「目」を見て話、目を見て表情を読み取っているからです。

 

目が見えていない状態だと、相手が何を考えているのかよく分からない、という風になりますよね。よくアーティストで前髪を伸ばして目が半分以上隠れている人がいますが、そういう人は大体「よく分からないミステリアスな感じ」が売れていたりします。

 

 

欧米では別に目はどうでも良く、一番重要視しているのは「口」の部分。相手の口を見て話、相手の口を見て表情を読み取ります。

 

口が笑っているのか、口が強張っているのか、怒っているのか、口を見て判断しています。学校でもよく「相手の口を見て喋ってね」と言われるため、目ではなく口を見た方が良い。

 

「相手の目を見て喋ってね」と言われて育ってきたので、自然に目を見てみましたがそれはアメリカ人曰く「なんか照れる」らしいので、それから英語で喋る時は相手の口を見て喋るようにしています。

 

マスクを着用していると相手の口が見えないので、「周りが何を考えているのか分からない」と恐怖心を覚えるようになる。そこで強い意志を持って、反対運動をやっていた訳です。

 

実際、アメリカの学校では学校内の乱射事件が頻繁に起こりすぎている位なので、(毎月2−3回はどこかで起こっている)誰が何を考えているのか読み取れないという状況はあまりにも危険すぎるのでしょう。

 

 

日本と海外でのマスクに対する違い。

 

マレーシアはおそらくその中間を行っているのですが、国の方針としては殆どの制限を撤回した為今ではマスクをしている人を見つけるのは困難。ただしどこのニュースを見ているのか分かりませんが恐怖心に煽られ未だに一人で車に乗っているのに厳重にマスクをしている人も稀にいるので、まあ個人の自由が尊重しどちらでも良しと一番バランスの良い状態になっています。

 

 

日本も夏になったら暑いのに耐えられなくなってマスクを外す人が増えてきそうですが、日本なら涼しいマスクとか開発したりして、、、