親愛なる皆様こんにちは
中井耀香です花火

本日は今上天皇陛下85歳のお誕生日
天長節ですね
謹んでお慶び申し上げます


※お写真は宮内庁HP
平成30年天皇陛下お誕生日に際してのご近影(お写真) http://www.kunaicho.go.jp/activity/gokinkyo/01/h30-1223-ph.html

普通の85歳というご高齢の方の日常をあまり身近に見ていないので良くわからないが
これほどの激務をこなしていらっしゃる85歳の方はいらっしゃらないだろう

会社の社長だった方なら会長職や名誉職などになって、たまに会社に行く程度だったり
趣味をしたり、のんびりと余生を送っているという勝手なイメージだが、当たらずとも遠からずだと思う。

ご高齢の天皇陛下の日常は通常の人の域を脱している。
それはそれは殺人的スケジュールだ

祭祀王としてのお勤めも私たちが知らない所で日の本の神々に真心込めて祈り続けて下さったのであろう

陛下のご会見にもあるように
平成は近代日本の中で唯一戦争がなかった時代であった。
失われた20年と言われる様に経済の低迷ばかり言われるが、そんな事は大した事じゃない。
誰一人として日本人が戦争で亡くなる事が無かったのだ
これはある意味奇跡に近いのかもしれない

時折涙ぐまれながら、最後の会見にのぞまれる陛下の御姿に、日本人の良心を感じるとともに
臣民の一人として涙無くして拝見することができない

会見の模様はこちらから



意外と知られていないが、他の国々の王や女王が定期的に会見する国は他にないのです。
陛下が世界的に見て「異例」とも言える会見を折りに触れ続けて下さったのは、ご自分の御言葉で国民に直接語りかけたいと言う強い御心の表れに他ならないのです。 

沖縄の方達への哀悼の御心や、震災で被災された方々や、ボランティアをされた方がへの感謝の御言葉など色々ありましたが

私が特に印象深く感動したのは
私を支え続けてくれた多くの国民に『衷心』より感謝する
とお述べになられたことです。



「衷心」(ちゅうしん「衷」という字は「真ん中」を意味します。

「衷心」は「まごころの奥底」「心の真ん中」などを意味して

嘘偽りのない真実の心という意味で、とても深い意味をもつ言葉です。


陛下がこの衷心という言葉をお使いになられて、私たち国民に心の奥底深くより嘘偽りない心で感謝する

と仰られたのです。

なんとも、なんとも有り難く尊く勿体ない御言葉だと涙が出ました。

その陛下の御心にお応えできる様な国民であったと胸を張って言える様な生き方をして来たのかと自分に問うてみても、到底誇れる事は何もなく

只々陛下の祈りの中で安全で安心な日の本でぬくぬくと生かして頂けた事の有り難さに、皇居の方にぬかづいて頭を下げる事しか出来ずにおりました。


来年結婚60周年を迎えられる美智子皇后陛下に対しての労いのお言葉も愛情深く、お若い時より私たちが想像もできないほどの苦難を共にされていらっしゃったご夫妻の愛の御姿を垣間見ることができ有難いことでした。






天皇陛下の会見を拝見して陛下の御心の美しさを感じない日本人がいるでしょうか?


「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵」

この御言葉に集約されるように、陛下の御心がいかなる時も平和な世の中への祈りでいっぱいであったことが伺われます。


私心を捨てて、どこまでも公心で『天皇』としてのお務めをどこまでも全うしようとされる真摯な御姿に、ただただ有り難く

天皇陛下と共にこの日の本で安心の心で暮らす事が出来る私たちのなんと幸せて、恵まれるいる事かと感謝の気持ちでいっぱいになりました


天国はどこかに存在するのではなく、天皇陛下がいらっしゃる平和な日本こそが

『今ここ天国』

なのだと思うのです。


日本人で良かった。

陛下の臣民で良かった


謹んで今上天皇陛下のお誕生日をお慶び申し上げます


天皇陛下万歳

弥栄ましませ弥栄!


陛下の御言葉全文です

(陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなるが、現在のご心境と、今、国民に伝えたいことは?)


この1年を振り返る時、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。

集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。

新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。

命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。


ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。


今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。


私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。

譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。

2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。

世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。

終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々とわが国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。


そしてその翌年、英国のエリザベス2世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。

それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、わが国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。

昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。

沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。

皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。

沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。

先の大戦で多くの人命が失われ、また、わが国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。

平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。

そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、さらにその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。

皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。


平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動をはじめ、さまざまな助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。

また、災害が発生したときに規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。

障害者をはじめ困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。

障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。

パラリンピックをはじめ、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年、わが国から海外への移住が始まって150年を迎えました。

この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。

こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。


そして近年、多くの外国人がわが国で働くようになりました。

私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国からわが国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者がわが国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。


明年4月に結婚60年を迎えます。


結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。

また、昭和天皇をはじめ私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子どもを育てました。

振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。


天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の1人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心からねぎらいたく思います。

そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。

多くの関係者がこのための準備にあたってくれていることに感謝しています。

新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあとわずかとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。




中井耀香拝上


美智子皇后陛下84歳のお誕生日の折の記事は

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