古神道数秘術研究家の中井耀香です。
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夏の土用突入です。あまりバタバタしないでね
曹洞宗の総本山永平寺にお参りに伺いました。
中の境内を回る時に、ご修行中のお坊さまからお説教を頂くのですが、その中で「有難う」は仏教用語だとお話しが有りました
お釈迦さまがあるとき、阿難(あなん)というお弟子に、
「そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?」
と尋ねられました。
「はい。大変よろこんでおります」と阿難は答えました。
お釈迦さまが、「では、どれくらい喜んでいるか?」
と重ねて尋ねると、阿難は答えに窮した。
するとお釈迦さまは、一つの例え話をされた。
「盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」
と言われているお話。
・・・・・
「果てしな~く広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その亀は、100年に1度、海面に顔を出すのだ。
広~い海には1本の丸太棒が浮いている。
その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。
丸太棒は、風のまにまに、波のまにまに、
西へ東へ、南へ北へと、漂っているのだ。
阿難よ。
100年に1度浮かびあがるその目の見えない亀が、
浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴に、
ひょいっと頭を入れることが有ると思うか?」
聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」
と答えた。
「絶対にない、と言い切れるか?」
お釈迦さまが念を押されると、
「何億年×何億年、何兆年×何兆年の間には、
ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、
ない、と言っても良いくらい難しいことです」
と阿難が答えると、
「ところが、阿難よ。 私たちが人間に生まれることは、 その亀が、
丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、
難しいことなんだ。
有難いことなんだよ」
と教えられたそうです。
凄いお話しですね
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