久しぶりの更新。

8月23日、つまり昨日の京都新風館でのGARNETCROWのトークイベントに参加してきました。

そのレポートをおおざっぱにですがご紹介したいと思います。


この日はトークイベントの他に、CDを購入すると先着順に整理券がもらえ、その券と引き替えにメンバーからステッカーがもらえるという特典付き。整理券がトークイベントの入場券代わりにもなっているので、朝からCDを買いにいきました。


新風館が開くのが11時からだったのですが、もちろん小一時間前には会場へ。

しかし、僕の前にすでに20人くらい並んでいたので、ちょっと焦りました。

11時になるにつれて僕の後ろにも長蛇の列が・・・・。

とは言っても、ファンクラブからの告知が非常に急だったこともあり、全体で120、130人といったところですかね。


僕は初回版しか買っていなかったので、初回版もう1枚と通常版1枚を買いました。ステッカー2枚分ですね。

トークイベントの開始は14時から。13時から入場案内が始まりました。

新風館の中庭には人がわらわら。このあたりから、大きなビジョンに新曲「花は咲いて ただ揺れて」のPVが流れ始めました。最初はファンのみんな釘付けでした。


そして、いよいよ14時。MCの人から紹介され、おかもっち、ゆりっぺの順番で登場。

おかもっち・・・帽子(メンバーからの誕生日プレゼントのやつ?)、メガネ、扇子、青い浴衣。

MCの方から、「昭和の文豪」と形容されていました。まさにずばりそんな感じ。

ゆりっぺ・・・浴衣、髪型は浴衣仕様(?)。結構目立つ浴衣の色でした。


おかもっちは浴衣はアー写の時以来相当久しぶり、ゆりっぺは今年初浴衣らしいです。

個人的に、浴衣着たって別に人間あんまり変わんないし浴衣そのものにあんまり魅力を感じないと思っているのですが、やっぱり人前に出る仕事をする人は華がありますね。


まずは新曲について2人からのコメント。愛に似てるはシングル候補だったらしいです。んで、花は咲いてただ揺れてがA面決定したので、自動的にcouplingになったとのこと。

ここでゆりっぺが「花は揺れて ただ揺れて」と言い間違ったのですが、すかさずMCの人が「『咲いて』ですね(笑)それだと揺れてばっかりですよね?(笑)」とツッコミ。


やってしまったー的なゆりっぺの表情が面白かったです。


その後、7thアルバム、ライブツアー、10周年についてのお話。


一問一答に話がうつります。

おかもっちはゆりっぺを「猪突猛進」、ゆりっぺはおかもっちを「草原のような人」だと思っているらしいです。

んで、七さんのことをおかもっちは「雲。イングランドの天気」、ゆりっぺは「謎。」だと答えていました。まぁ相変わらずで良かったです。


ゆりっぺが「AZUKIさんにメールとかして、あれ?連絡とれないなぁって思っていたら、AZUKIさん旅に出てたり・・・。んで、他には、『鳥を最初からさばいて豚骨スープ(鶏ガラの言い間違い?)を作ってるから今日は会えへんわー』って連絡きたり・・・。私・・・・、豚骨に負けました・・・。」って言ってました。

七さんはゆりっぺのためならいつでもどこでも行きそうやのに・・・。


んで、トークは30分くらい?で終了し、そこからステッカー渡しです。僕は座席最前列だったので最初の方にもらいました。しかも2枚あったので2週してもらいました(笑)


ステッカーをゆりっぺに手渡しでもらうとき、ちょっとだけ2人とお話できたんですよね。ほぼ来てた人全員とちょこっと会話してたと思います。


僕「小4の時からファンなんですよー。ホント応援してます。」

ゆりっぺ「えぇ!?そうなんですかー!ありがとうございます-。」

僕「頑張ってください。」

ゆ「ありがとうございますー。」


僕「あ、パスパラにメッセージ送ってた『よういち』って僕なんですよ-。」

おかもっち「あぁ!ありがとうございますー。・・・ん?『こういち』??」

僕「あ、『よういち』ですー。」

お「あ、京大の!!」

僕「はい、そうです!んじゃ、また2週目来ます(笑)」



んで2週目。まぁ2週目なので気分も落ち着いて。


僕「ライブツアー、そして10周年の『後』も頑張ってくださいねー。」

ゆ「ありがとうございますー。頑張ります!」

僕「ライブツアーきついと思いますけど、ホント期待してします!」

お「おぉ、ありがと-!!」


ってな感じでした。

何よりパスパラに送り続けてたのを覚えててくれたのが本当に嬉しかったです・・・。

またガネ☆ラジにもメッセージ送ったら読んでもらえるかもしれんなぁ(笑)



そんなこんなで昨日は本当に気持ちがふわふわしていました。なんか、いつもよりファンとの距離が近いイベントだったと思います。早起きした甲斐がありましたー。


ではでは。次はなんかのレビューの時にでも書くかな?



昨年の後期にとった授業のレポート。個人的にもかなり本気で取り組んだレポートであります。非常に文章力、表現力も稚拙で恥ずかしく、これが答え・・・というわけには行かないですが、誰かにとってのナニカのヒント、そして今の自分自身の考え方を記しておくのは今後役立つかな、と言う点から、一応載せておきます。









僕がこの授業でもっとも興味を持ったのは「純粋贈与」である。僕は今まで生きてきたなかで、自分なりに「愛」というものについて何度も考えたことがある。

そして、ここ数年自分の中である程度『愛』についての考えがまとまってきた。「愛」というものがもしこの世に存在するとすれば、「見返りを求めずに与え続けるもの」である、というのが僕の考えである。


これはまさに純粋贈与の継続に他ならないと思うのだ。何の見返りも求めないということは、非常に難しいことだと思う。そしてそれは、「相手に何かしてあげたい」という気持ちがかなりのレベルまで高まらなければ、行動として表出し得ない。

 


実際、「純粋贈与」というものがこの世界の『どこかに』存在しているという意識はあるのだが、それによってどこまで人と人の絆はつながっていくのだろうかという疑問がある。前述したように、「愛」とは「与える」ということを連続的、継続的に続けることと考えているが、これに対し「純粋贈与」とは単発的な行動のように思えるのだ。「絆をつないでいたい」という願望から生まれる贈与は、そもそも純粋贈与ではない。ただ、逆に「純粋贈与」を通して、「つながり」を感じることができるというのは事実であると思う。

 

贈与というものは、反対給付への期待を少なからず含んでいるものであるが、個人的には、人は通常、反対給付を目的として相手に贈っているわけでは無いと思う。「贈与」を行うときには必ずといって良いほどまず「相手に何かしてあげたい」という気持ちが含まれていると思うのだ。「反対給付への期待」と「純粋贈与」の狭間で「贈与」が揺れ動いていることは感じるのだが、僕自身の中ではどちらかといえば「贈与」は「純粋贈与」寄りに傾いているように思える。


つまり「贈与」と「純粋贈与」はある種別次元の事であるにもかかわらず、贈与の「純度」が究極的に高まっていくと「純粋贈与」へと昇華するように思うのだ。もちろん、ここで気をつけなければならないのが「純粋贈与」を意識しているうちは「贈与」しか出来ないという事である。これが先ほど「ある種別次元である」と表現した理由である。人格・モノの個体性を超越するという壁を乗り越えなければ純粋贈与は達成できないが、僕らは生きている限りその見返りを求めてしまっている気がするのだ。

 

このような理由から、純粋贈与を自分自身で実感することは非常に困難であると思う。この世界の『どこかに』存在する、としか言えなくなってしまう。他人の行動やその内容から「これこそが純粋贈与かもしれない」と思っても、自分自身の行動でそれを実践できるだろうか。これを考えると、純粋贈与が概念として、意識としてあるとはわかっていても、生きている限りにおいて、自分自身が実践するという域には到達できないように思えてくる。この域に達するための最も大きな壁を乗り越えるには、「個体性の死」が必要であるが、決して容易な事ではない。


純粋贈与は自分の世界の外側には感じられるのに手に入れることができない、つまりは主観的に行う「愛」の実践自体が不可能性を帯びてくる。もちろん、他人の行為なら「純粋贈与」と感じられるように、僕の行為が完全に主観と分断され、客観視された場合に「純粋贈与」だと認識されることは可能であろう。


ただ、主観を交えてその行為を捉えてしまった時点で、それは「純粋贈与(=愛)」であることをやめてしまうと思うのである。もし無意識下で行う「贈与」があれば、もしかしたらそれが「純粋贈与」なのかもしれないが、それに自分自身で気づく事は出来ないだろう。このジレンマが、生きている限り、人格の個体性に執着し続ける限り続いてしまうのである。

 

まだ僕自身の人生経験の浅さからこのような考えに至っているという部分はあると思うが、この授業で「純粋贈与」さらには「愛」の存在・実践について考える機会が得られたのは僕にとって非常に有益であった。もちろんこの純粋贈与についての考察は、ここで終わるものではなく、一生自分に問い続けるテーマとなるであろうが、この過程で重要なのは、「考える」というよりも「感じる」という事だと思う。モノ・カネがめまぐるしく動くようになったこの社会の中で、頭を使って考えずには生きていけない。しかしそれ以上に、感じながら生きていくことが大切なのだと、今、強く思う。






だらだらと書いてますが、『愛』というものは、自分で愛だと認識しようとした瞬間に変質してしまう何とももどかしい存在であるということです。

巷では「俺(私)たちの関係って『純愛』だよねー。」なんて言う声もいっぱい聞こえてきますが、そのたびに耳をふさぎたくなります。

他者から見れば『愛』だと思われるけれど、自分で認識することの無いもの、それこそが『愛』。

殊に、恋愛における愛とは、なかなか実現不可能のような気もしますが、本人達が納得すればそれはそれでいいのではないかと思っています。


僕の歳からすると当たり前ですが、身の回りに本当の愛を実現している人は一人もいません。断言します。

でもそれは別に悪い事ではなくて、人間ってやっぱりいい加減でそのくらいでいいんじゃない?とも思いますけどね(笑。



乱文&長文失礼しました。では。


いやー、ほんとお久しぶりの更新です。

なんだか読書する時間も、映画見る時間も上手く作り出せないのですが、自分の睡眠欲のせいだきっと!


New single「花は咲いて ただ揺れて」ですが、まぁ個人的には「忘れ咲き」とか「春待つ花のように」というイメージがつきまとってしまいます。タイトルからの勝手なイメージですが。


でも、「花」=「人」という言葉交換しても大丈夫なのは気のせいですかね(笑)

「花は咲いてただ揺れて 静かに明日を待つよう」なんてフレーズが入っていてもおかしくなさそう。

「無為」とか「ただ、在る」といったような言葉がとっても似合う歌詞になってそうですね。

感傷的にも読めるし、哲学的にも深読みできるというような。


加えてc/wの「愛に似てる」ですが。

まぁこれは今までの歌詞の中にも同じような内容がちょくちょく出てきているので、先入観はばりばりです(笑)

個人的に、愛というものはあるような無いようなものだと思っています(後ほど『現代人類学』という授業での「愛(純粋贈与)」について考察したレポートをupしますので、よければそちらも読んでいただけると嬉しいです)。


「似ている」ということをいうとき、おそらく本人の中ではその基となるナニカが確固たるイメージとして心に浮かんでいるのだと思うのです。つまり「愛に似てる」ってことは「愛ってこんな感じ」という認識が事前に必要なわけです。

そうなってくると、七さんの「愛」観がどのようなものかによってこの詞の方向性がガラリとどのようにでも変わってしまう事が予想されますね。

「愛ってあるかどうかわからない」→「○○はあるかどうかわからないという点で愛に似ている」という流れが思い浮かびますが、「愛ってただ与え続けるもの」という視点で描かれているとするならば、詞の展開は??です。

なぜなら、有限のこの世界の中で「与え続けることのできるもの」なんてものは非常に限られているからです。

(というか、僕自身はそんなものは唯一「愛」だけだと思っているくらいです)。


今まで七さんの歌詞の中で出てきた「愛」観は上記の2つが主だと思うのですが、一体今回はどうなるんでしょうね。是非レビューも書けるようになりたいなぁ。



ここから下はアルバムの収録曲を書こうかと思います。(CD journalがソースです)

見たくない方はここでストップ!

















百年の孤独

夢のひとつ

Doing all right

花は咲いて ただ揺れて

Elysium

ON THE WAY

Stay

日々のほとり

Rainy Soul

恋のあいまに





Elysiumとは、「理想郷」とかそういう意味らしいです。ギリシャ神話にも出てきてます。

rainy soulがこのアルバムの核なんですかね。それにしても、曲順はこのままなのでしょうか。

シングル4曲連続でいれるとは・・・。これは賛否両論ありそうですね。

コアなファンは5曲目以降をエンドレスリピートなんてこともありそう(笑)

あとは「他」にも期待。多分あと1,2曲くらいは入ってきそうですね。楽しみだ-!



また後日いろいろ書くかも。おしまい。









5月20日、GARNETCROWのシングル「Doing all right/Nora」とLive DVD「Are you ready to lock on ?!」が発売されました。その感想をば。


まず、DVDの方から書くことにします。

去年、東京2日間、大阪1日で開催されたライブをそのままDVDにしたもの。個人的には実に4年半ぶりくらいに生のメンバーを見れたので、死ぬほど嬉しかったです。ちなみに僕は4年の隙間を埋めるように3講演とも全て参加しました。DVDに自分の姿が映っていたのですが、恥ずかしすぎます。


んで、内容はおそらく東京公演の1日目と2日目のいいとこミックスです。

GARNET shoppingやら、MCがカットされてしまったのは非常に残念。ただ、メンバーがめっちゃ楽しそうで良かった。ストリングスアレンジも非常にキレイだったし、あとはサックスも良いスパイスでした。


あとはサウンドバランスの問題ですが、これはもうミキサーの人がどうにかして頑張るしかありません・・・・。

映像そのものは、相変わらずカメラワークが落ち着かずにパチパチ切り替わってるのが気になります。

水のない晴れた海へとか、AZUKI七のピアノ演奏を楽しみたいのに・・・。

そして、ライブ終盤では、二人のロケット、今宵エデンの片隅で、スパイラルなど、お決まりのアップテンポ。

本人達が意識していたように、今回は「動くライブ」だったので、本当に楽しかったのを肌に感じて思い出しました。


こういう大合唱の時(Love is a birdなども含めて)は、観客の音声ももっと拾うべきだと感じたのですが、いかがでしょうか?会場では本当に観客が一体となって合唱していたのに、DVDではそのインパクトが薄くて残念。

せめて、観客の音声ももうすこし録ってみたりするのも良いと思うんですが。


とはいえ、仁和寺DVDに続いて、個人的にはこれからもまた見返したくなるような1枚だと思います。



「Doing all right」


初めてテレビで聞いてから、「Nora」と比べてしまった。先に聞くことになったのが「Nora」だったので、どうしても比べてしまいます。完全にNoraの方が好きです。

Doing all rightは最初からliveを意識して作られたらしいので、じっくり聞かせるメロディーではないね。

なんというか、無限にリピートしててもしんどくないというか。

多分「Doing all right」の部分をみんなで合唱して[Love is a bird]みたいな感じになるんやろうなぁ。


ただ、GARNET特有のスルメ具合が今回もちょっとずつ効いてきました。

ついつい何回も聴いてしまうんです。この時期の朝にこれを聴くと「今日もがんばるかー!」って思えます。


[なんとかなるって。大丈夫だって。」というのが七さん流の和訳らしいですが、この1歩前に投げ出した感じが七さんらしい。

歌詞というのは、一般的には「私はこう言いたい。もしくは、こんなことを伝えたい。こんなことを共感して欲しい」というものを受け手に提示するものです。


ただ、AZUKI七の場合は少し異なっていて、「私が画板用意しとくから、あとはみんなで好きなように色塗ってよ。」というスタンス。だから彼女の詞はそれ自身では完結することが無いような気がします。

つまり、彼女の書く詞に対して、受け手がナニカを感じて、考えてこその「作品」なんだと。

「こういうこともあるよね。」という押しつけない立ち位置で、彼女は自由に世界を形作る。


「Nora」ですが、こちらは彼女の想像世界が溢れてます。

一つの物語を読んでるみたいです。そして、深みのあるメロディーと暖かくも切ないアレンジ。

深いオレンジ、赤、茶色が見えるような曲です。

一見切ない野良猫の話ですが、七さんは自分をこの野良猫に見ているような気がします。

人付き合いが苦手で、一般的な人間社会からは離れて暮らしている自分。

そんな中で、自分を受け入れてくれる人、わかりあえる人をごく稀に見つけても、やはり結局は自分はその人のもとにはいられない。Mysterious Eyesでもあったように、「人間」とかいて「いきもの」と読む。

人間と野良猫(=自分)は違う生き物。違う人間(いきもの)。


他者との心のつながりは永遠のものではなく、いつかは途切れてしまうし、それはわかっているつもりなのに、どうしてもまた他のだれかを求めてしまう。

「誰かとつながり続けることなどできないとわかっているのに、どうしてもまた誰かを求めてしまう。」というような人間としての哀しさややるせなさ、あるいは弱さといったものを歌詞中から僕はしばしば感じています。


もちろん七さん=歌詞では無いだろうし、最近はGIZAも不況の影響をモロに受け、愛内里菜の陥落、倉木麻衣の移籍によって、いつの間にか会社を背負う稼ぎ頭になってしまったGARNETがどうしても「売らなきゃ」指向が強いので、歌詞もメロディーも一般ウケを狙ったものが多い。

したがって、七さんが本当の意味で「無」の状態でメロディーに身を任せて書くのはとても難しいと思います。

これが彼女のモチベーション低下に繋がっているのは言うまでもないです。


最近、GARNETCROW10周年という言葉が非常に意味深いものになっています。

いつになくGARNETがせわしなく動き出していて、単なる通過点としての目印に10周年を置いているだけなら良いのですが、10周年がどうしても不気味に感じてなりません。

すなわち、「10周年で最後だから、燃え尽きよう」みたいな雰囲気をふと感じてしまうんです。

七さんのやる気、GIZAの経営状態などから、本当にいよいよ・・・・と考えてしまうことがよくあります。

特に経営状態が本格的に悪いみたいなので、怖い。

七さん本人は柄にも無く「カウントダウンライブしよー!」とか言ってたのでビックリです。

まぁスタッフブログを見る限り、相変わらず本人達の楽曲のストック数は尋常じゃないようですが、これを残さず発表して欲しいのです。


そして、Doing all rightの長いギターソロに関する岡もっちの発言。

「今は言えないんですけど、これはGARNETの歴史に残るギターソロです。」


これは、どういう意味なのか。

もしかしてもう活動期限が決まっていて、シングルの発売枚数や曲がだいたい決まっているから、「全楽曲史上最も長いギターソロ」という意味での「歴史に残るギターソロ」なのでしょうか。

疑心暗鬼だ・・・。


幸せなハズの10周年が、何故か心からは喜べない。

本当にGARNETCROWが大好きだし、できるだけ長い間活動して欲しい。

5周年のときに七さんはこう言っていた。

「惰性で続くようにはしたくない。」

今の制作はスタッフブログを鵜呑みにしてしまえば、どうみても精力的に制作活動してるから「惰性」では決してないはず。


応援し続けたい。何があっても。









さぁさぁ久しぶりのファンタジーです。

最近哲学とか新書の方面に走ってたのでこの類の本を読むのはホントに久しぶりです。


大学の図書館でヨーロッパ文学のところをウロウロしてたら偶然発見したので読んでます。

全7巻あるのですが、とりあえず2冊借りてきました。実はこの「ナルニア国物語」は全7巻のお話が一つ一つ独立していまして、何巻から読んでも楽しめるんですよね。

それでいて全7巻を読むと大きな流れが見えてくる・・・・らしい。


読んだのは、「ライオンと魔女」「カスピアン王子のつのぶえ」です。


多分中学入学前くらいの年代の子供が読むように翻訳されているので、今読むと逆に読みづらいです(笑)

ひらがなばっかりが並んでいて暗号文のようにも思えます。

ストーリー自体は、絵本でもよくあるパターンの「子供達が異世界で冒険する」というもの。

児童用なので話自体も簡単ですし、サクサク読み進めます。



それゆえに、特に「私はこれについてはこう感じました。」というのがあまりないので、事実を追う形での読書に成ってしまった感が。

これ読んでて思い出したのですが、「指輪物語」を全く読んでませんでした。

指輪物語は一回中学生の頃に文庫で読もうとしたのですが、文字量が多くて挫折した記憶があります。

今なら積極的に読めるかも知れない。



でもたまにはファンタジーもいいなぁ。完全に別世界に飛んでいったような気になれる。

別世界に飛びすぎて今日は一日ぼんやりするだけになってしましましたが・・・・(笑)

またオススメの本など(読み応えのあるファンタジー系で)あれば、是非教えていただけるとありがたいです。


おーしまい。