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御年80歳を超えた御大が、5年以上を費やして前宣伝は一切なしで公開されたアニメ映画。コケるんじゃない? と誰だって思うだろうし、筆者もそう思った。観ようと思ったのは、アカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞したからである。ゴジラ・マイナスワンに視覚効果賞を授与した今年のアカデミー賞なら、信頼できるか、と。

筆者はアニメファンではあるが、宮崎作品はずいぶんとご無沙汰である。ナウシカ、ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫、千と千尋の神隠しまでで、最後が2001年の作品だから、もう20年以上、観ていない。20世紀には若者だったが、21世紀になって年を取ったオジさんには「観よう」と劇場に足を運ぶようなラインナップではなくなっていた。

そして、今回。観て初めて宣伝なしだった理由が分かるような気がした。ある意味、説明をすればするほど、この映画が伝えたいものが遠ざかっていくのだな、と。もちろん、物語としてのキャラクター、時代背景、舞台など「情報」として伝えることは出来る。だけど、それを知ることに意味がある映画ではないのだ。観て「体験」しなければならない。
たとえが適切かどうかは分からないが、これは映画「2001年宇宙の旅」の終盤のそれに近いと感じた。不可解な映像に意味が無いようで、しかし「訳は分からないけど、何かが分かるような気がする」という不思議な感覚。ブルース・リーの「考えるな、感じろ」に通じるような。

現代は「手軽に答えが得られる」ことが求められる時代だ。AIもそうだろう。他人の知識を集約して、それを知ったり借りたりすることは出来る。しかし、そこからは「貴方は何者なのか?」という、自分自身の人生の答えは、決して得られない。

この映画は「君たちはどう生きるか」という問いの答えではなくて、「自分ならこうする」という「貴方は何者なのか?」の答えを、自分の中に見出す映画だ。
ベースは確かに宮崎監督の人生の中にあったけれども、これまで表現してこなかったものの集大成なのだろう。でも、それを見てその意味を考えるのではなく「自分がどう感じたか」が大切な映画なのだと思う。

だから「答え」は、映画には無い。自分の中に既にある。

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