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昨年12月13日(水)にXに投稿した連投ポストです。

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1974年のTV放送から50年、1977年公開版の「映画 宇宙戦艦ヤマト」を4K ULTRA HD Blu-rayで自宅視聴できる時代になった。それを入手するため、近隣の映画館で観て嬉しかったのが、戦艦大和の歴史を語る場面で「軍艦マーチ」が流れた事。当時は敗戦からまだ30年ほどで不自然ではないが、後に差替え。

 

軍国主義だとの抗議を受けての措置だったが「大和」を語る場面は、1974年当時に生を受けていた者にとっては軍艦マーチでなければならなかった。なぜなら「大和」は虚構ではなく、現実だからだ。 現実の「大和」を、虚構の「ヤマト」に蘇らせるために、軍艦マーチが必要だったのだ。

 

しかし、それでは「宇宙戦艦ヤマト」は軍国主義だったのか? この問いに対しては、1974年のTVシリーズや1977年の映画版をご覧になった方にはお分かりだと思うが、明らかに否である。 物語の終盤で、破壊の限りを尽くされたガミラス星にも満身創痍になったヤマトにも、爽快感は欠片も無い。

 

有るのは、ただ「戦う事の虚しさ」のみである。ガミラス星の「死」を悟った主人公、古代のセリフだ。 「俺達は小さい時から人と争って勝つことを教えられて育ってきた」 「しかし勝つ者がいれば負ける者もいるのだ、負けたものはどうなる?」 「負けた者は幸せになる権利は無いというのか?」

 

1974~77年に十代に突入したばかりの者にとって、このセリフは「受験戦争」「学歴主義」へのアンチテーゼだった。 しかし、50年が経って「新自由主義」が30年以上も蔓延った2024年の日本では、より重い意味を伴い、我々の生活に差し迫る「税制による死の危険」を想起させる。

 

武力ではなく「誤った貨幣観」による「努力した者が報われる世界」は、負けた者を「努力しなかった者」「幸せになる権利が無い者」にしてしまった。 しかし、今、我々の手には「正しい貨幣観」という、相手を倒すためではなく、共に生きるために広めていく武器がある。

 

勝つか負けるかはわからない。勝つ未来、負ける未来、或いは想定外の未来もあるかもしれない。 しかし、少なくとも「相手を倒すための戦い」はしてはならない。そんな想いを、50年前の熱意あふれるフィルムと、当時は少年だった自分から、再度、手渡されたような気がした。  


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