3日分のブログを書いたぞ

ひっひっひ。

 

一昨日

 

急にバイクに乗っている夢を見た。

 

もちろん昨年廃車にしてしまった

ビッグスクーターのフュージョンだ。

 

多分甲州街道を走っていた。

 

この季節はちょうどいい。

 

4月だとまだ夜は寒いので

 

厚めの上着が必要なのだが

 

5月も半ばを過ぎると、

 

少し生ぬるいちょうどいい空気になる。

 

 

きっと潜在意識で

 

ああバイクに乗りたいなあと思ったのかもしれない。

 

 

振り返るとバイクがいつも隣にあった20代だった。

 

大学時代に東小金井で購入した

 

中古の原付のDioで

 

雪の御殿場を通り

 

シタミチで静岡の実家に帰省したこともあった。

 

すごく寒くて怖かった。

 

今なら絶対しない。

 

だがとても良い経験になった。

 

 

次に買った台湾製の180ccスクーターSym(シム)は

 

とってもお世話になった。

 

なぜか相棒の大地くんに真似されて

 

お揃いの珍しいSymでよく都内を走っていた。

 

すごく恥ずかしくて、でも誇らしかった。

 

長野の稽古合宿に2台並走して

 

法定速度をちゃんと守ってツーリングに行ったのも懐かしい。

 

 

ひとり旅では3日かけて広島まで行った。

 

旅はいい。

 

特にバイクはすぐにドライバーズハイになるので

 

色々研ぎ澄まされる感じがしていい。

 

もちろんハイになっても法定速度はいつでも遵守。

 

 

原付に比べて排気量があるので

 

お手軽に静岡にも帰省できた。

 

3時間あれば着くので

 

電車とそんなに変わらない時間だ。

 

 

ある時の静岡からの帰り道、

 

厚木の辺りだったか

 

SYMはシューっと言って動かなくなった。

 

 

すぐにJAFを呼んで

 

修理してもらおうと思ったのだが

 

修理不可能とのこと。

 

 

それでは購入したお店に運んで修理してもらおうとしたけれど

 

ここは厚木、

 

都内まで運んでもらうことはちょっと難しいとのこと。

 

 

なのでレンタカー屋で小さなトラックを借りて

 

JAFの青い車のリフトでシューっと車体を上げてもらい、

 

優しいJAFのレスキューの方にしっかり南京結びしてもらって

 

後ろの荷台にSymを載せて夕暮れの246を都内に向けて走った。

 

 

荷台で揺れているおじいさんのSymは今はもう動かない。

 

別れというものは突然にやってくるんだなと

 

この時初めて実感した。

 

 

無意識に大地くんに電話をして

 

僕のSymが壊れたかもしれないが

 

僕らの友情は壊れないよねという確認の電話をした。

 

 

都内のバイクを購入したお店はなんと閉店していた。

 

心配した大地くんは僕のところまで来てくれた。

 

 

お店が明日開くまで

 

大地くんの家に泊めさせてもらおうと、

 

彼の家に急いだ。

 

外はもう暗くなってきている。

 

 

いざ家についてロープを外し、

 

彼に本当にごめん、今日はありがとうと感謝を告げた。

 

さあ、

 

バイクが下ろせない。

 

 

載せるときはJAFのリフトで、

 

シューっと載せてもらったのだが、

 

我々には重いバイクを下ろす手段がなかった。

 

さてどうしよう。

 

 

近くに

 

小学校の体育館のステージのような場所があれば、

 

荷台と同じ高さになるので

 

スムーズに下ろせる。

 

そんな場所を探そうということになった。

 

しかしここは住宅街。

 

そんな場所はなかなか見つからないに決まっている。

 

それでも、あるかもしれない。

 

愛車を失ってしまった僕たちには光明が差していたのだ。

 

 

ここでひとつの問題に気がついた。

 

大地くんの家で下ろすつもりで

 

JAFの方にやってもらった、

 

厳重な南京結びを全て解いてしまっていたのだ。

 

この固定されていない状態では運転ができないのではないか。

 

 

僕たちは法律を調べた。

 

道路交通法第55条によると

 

軽トラックに荷台に人が乗ることは原則では違法。

 

しかし積載する荷物を監督するために荷台に乗車することは

 

合法とのことだ。

 

運搬目的で、なおかつ見張りの必要な荷物がある場合、

荷台に人が乗ることを許可する

 

とのことだ。

 

まさに今のこのSymには見張りが必要だ。

 

 

大地くんは本当にいい友だ。

 

荷台で車体を支えてくれた。

 

合法ではあるが、出来るだけ安全に進みたいので

 

僕は時速2キロくらいで運転しようとした。

 

大地くんは念の為ヘルメットをかぶった。

 

 

さあ発車しようかという時

 

とてもシュールな絵になっているのに気づいた。

 

横を通る中学生の3人組みに2度見されて

 

指をさして笑われたので僕らは一先ず軽トラックの発進をやめた。

 

安全が一番である。

 

 

歩いて周囲を探した。

 

しかしだめだ。

 

そんな都合のいい体育館のステージは住宅街にはない。

 

 

僕たちは再度プランを変更しなくてはならなかった。

 

 

長い、スロープみたいなもの、があれば

 

坂が出来てスムーズに下ろせるのではないかという話になった。

 

 

大地くんが近くに投棄されていた

 

看板のようなものを持ってきてくれたので

 

僕が荷台に乗り、

 

大地くんが下で看板を設置してくれて、

 

よし下ろそうということになった。

 

 

しかし上からその看板を見ると、

 

全然長さが足りず、

 

これでは全然駄目だ。

 

ほぼ直滑降にバイクが落ちることは間違いがなかった。

 

 

やめよう。と大地くんに言うと、

 

いや、いける!と彼は言う。

 

彼は下で待っているので

 

上から見ると直滑降も、下からではまだスロープに見えるらしい。

 

いや、これは無理だ。危ない。

 

いや、絶対いける。

 

 

彼と喧嘩するのは避けたいなと思い、

 

じゃあやってみることにした。

 

バイクの後輪が看板にかかったところで

 

バキッ と言う音がした。

 

しかし

 

彼はまだいけると言い張る。

 

長い時間の試行錯誤の疲れもある。

 

友情もバキッと音を立てて壊れてしまうのだけは避けたい。

 

 

僕はそのまま断崖絶壁に向けてバイクを進めると

 

彼にどうやら100と数10キロの重さがかかったようだ、

 

彼はやめてくれ。と言った。

 

 

これは困った。

 

バイクを下ろせない。

 

レンタカーの返却時間も迫っている。

 

 

疲労困憊した我々の目に、

 

おや?

 

「バイクの救急病院」

 

と言う奇跡のような電光掲示の光が飛び込んできた。

 

バイク屋だ。

 

僕たちは、間違いなく文字通り急病患者だ。

 

そんな奇跡ってあるのか。

 

 

すぐさまそこに入って、

 

すごく怖い身なりの店長に

今日の事の次第を泣きそうになりながら説明した。

 

 

すると

 

マスターは裏で道路工事をしているお兄さん達のところへ行き

 

5人くらい引き連れてきてくれて、

 

ものの5秒の怪力で

 

Symを地上に下ろしてくれた。

 

 

ありがとう救急病院。

 

これまでの時間はなんだったのだろうか。

 

 

結局

 

Symは修復不可能で廃車になった。

 

僕はご縁のあるそのバイクの救急病院で

 

新しいフュージョンを購入することに決めたのだ。

 

 

 

 

 

って

 

なんの話だっけこれ。

 

ああ、

 

バイクの夢を見た話だった。

 

そうだ、

 

昨日稽古のあと

 

大地くんのバイクの後ろに乗せてもらった

 

ということを言いたかったのだ。

 

彼はまた最近Symを買い直し、

 

とても懐かしい乗り心地だった

 

ということを言いたかったのだった。

 

 

フュージョンの思い出はまたいつか。

 

ありがとうSym!

 

 

image

 

「祈るとき」

 

のお稽古してきました。